旅行先の一つとして人気の地であるハワイ。どんな歴史をたどってきた島なのだろうか。この連載では、ハワイの歴史や文化、自然、この地で生まれた独特なカルチャーをひもとく。
連載1回目はハワイの年末年始から見るローカル文化や移民文化について。住民は異文化を尊重し、受け入れる寛容さを持っている。年末年始の過ごし方も多様だ。

ハワイの1年の始まりは、1月1日ではなかった

 「新年」は必ずしも1月1日に始まるわけではない。旧暦を採用している国や民族は1月下旬から2月中旬に新年を迎え、イスラム教やヒンズー教など独自の暦を持つ宗教は、それぞれ7~8月や10~11月から新年が始まる。ハワイもかつては、月の満ち欠けによる独自の暦を持ち、新たな年が始まるのは10月中旬から11月中旬だった。

 ネイティブハワイアンにとっての新年の始まりは、毎年10月中旬から11月中旬の間に、日没後の東の水平線上に「プレアデス星団(すばる)」が出現した時だ。その日からおよそ4カ月間にわたり、「マカヒキ」という祭りの時期に入る。

 その間は戦争が禁止とされ、建築、布や器の製作などの緊急性のない仕事は休みとなり、人々は遊びやスポーツ、食を大いに楽しんだ。このマカヒキの期間と重なる10月から3月頃は、ハワイは雨期に当たる。その間に人々が休むことで、大地を同時に休ませ、自然資源の再生を図っていたのだ。

1月1日がハワイの新年の始まりとなったのは、いつなのか

 1778年、英国人のジェームズ・クック船長が西洋人として初めてハワイを「発見」し、その存在が世界に知られて以降、ハワイは米国大陸とアジアを結ぶ貿易の中継地となった。ハワイからもサンダルウッド(白檀:ビャクダン)を中国に輸出するなど、1800年代初頭から貿易を通して外国とつながりを持ちつつも、当時ハワイを治めていたカメハメハ大王は、月の満ち欠けによる暦を含め、ハワイの文化・習慣をかたくなに守っていた。

 ところが1819年、大王が亡くなり、後を継いだまだ若き息子をサポートしていた大王の王妃は、マカヒキをはじめとするハワイの文化や規律の廃止を決めた。王妃自らが、西洋の文化に心酔していたからだ。代々重要な宗教的役割を担っていたヘイアウ(神殿に当たるもの)までもが破壊されていった。

 この、ハワイの社会における大変革の最中、1820年に米国東海岸からキリスト教宣教師の一団がハワイに到着する。彼らは布教と同時に学校を設立し、王族も含め、人々に読み書きや数学などを教えていった。この学校で採用されたのが太陽暦(グレゴリオ暦。1873年から日本でも採用)だった。ハワイの暦もこの方式に従うことになり、12月25日にはクリスマスを、1月1日には新年を祝うようになっていった。

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