2021年7月、初めて「オリンピック」という舞台に登場したアスリートたちがいた。そのスポーツを愛する人々にとっては雲の上の存在といった面々――彼らは、広大な海を相手に、波という予測不可能な動きを制するサーファーたちだ。
ひるがえって、サーフィンの世界では、伝説の人物がいる。彼がサーフィンの五輪選手を見たら、こうつぶやいたのではないだろうか。
「やっと私の夢がかなった……」と。

ハワイを代表するマリンスポーツ、サーフィン。新たに五輪種目の1つとなり、サーフィンの大会などを目にしたことがない人でも、自宅のテレビを通じて熟練サーファーたちの技を見ることができるほど身近になった。しかし、ここに至るまでに、サーフィンというスポーツは、この世の中から消えてしまっていたかもしれないという、危機を抱えていた。サーフィンとは、どのような歴史をたどってきたスポーツなのだろうか。
サーフィンの起源
サーフィンは、ハワイで突如生まれたものではない。その起源となるものは、まだハワイが無人島であった頃、南太平洋の島々に住む人々が行っていたものだという。南太平洋に並ぶ島々では「板で波に乗る」ということが人々の生活の中で遊びとして存在していた。
人々の移住が始まったのは、諸説あるが、紀元前1500年ごろからと推測されている。東南アジアからフィジー、トンガ、サモア、タヒチなどと、西から東に向かって人々が移住していくとともに、波乗りも広がっていったと考えられている。
トンガやサモアでは、波乗りは主に男の子が行う遊びとされ、使われていた板は、現在のボディーボードと同じ位の大きさで、板に腹ばいになって使用していたという。それに対して東の島々であるタヒチやマルケサス諸島、イースター島になると、性別や年齢を問わず、一般的な遊びとなり、使われる板は長く大きくなっていく。特にタヒチでは、板の上にひざまずいたり、立ったりすることもできる長さとなった。
タヒチからハワイへと人々が移住を始めたのが、西暦400~500年代といわれているが、ハワイに到達した頃には、板は長さに加え、幅が広がり、大人がその上に立っても、十分に海に浮いていられるようになった。そこから、波乗りの技術がハワイで磨かれ、「サーフィン」が誕生したとされている。
王族と密接に関わるスポーツに
サーフィンはネイティブハワイアンの生活の一部となり、代表的な娯楽の一つとして深く浸透していった。さらに王族にとっては、余暇の楽しみという側面の他、健康を保つためのエクササイズとしての意味合いも持っていた。良い波が出る場所は、王族専用のサーフスポットに指定され、王族が乗る波に一般の人が乗ってしまえば、死刑を含む罰則までも設けられていたという。
また、王族には特別にサーフィンを学ぶ機会も設けられていたため、多くの王族が、サーフィンの名手として名を残している。ハワイ建国の祖であるカメハメハ大王もその一人だ。大王の妃の一人、カアフマヌ王妃もサーフィンを得意とし、沖まで出たカヌーから、波と波の合間にサーフボードに乗り移り、岸まで戻るという技を見せたという逸話が残されている。

当時のサーフボードは、一枚板だ。そして、位が高い人々が使うボードは、一般の人々のものよりも長く作られていた。中には、およそ5メートルにもおよぶものもあった。カヌーでも使用される、非常に頑強なコアの木から作られていたボードは、そのものが相当な重さであったことを考えると、使いこなす者の技術の高さをうかがい知ることができる。

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