王族の別荘地となったワイキキ
カメハメハ大王の後を継いだ2人の息子、カメハメハ2世および3世は、ハワイ王国の首都をマウイ島の西部の街、ラハイナに置いていたが、1845年、カメハメハ3世が、活発な経済活動の中心となっていたホノルル港を抱える、オアフ島のホノルルに遷都した。ハワイ王国が始まって以降、ワイキキの大部分は王族が個々に所有する土地となり、ワイキキは王族の別荘地、または居住地として使われるようになっていく。
例えば、カメハメハ大王の孫、カメハメハ5世はザ・ロイヤル・ハワイアンのある場所に、7代目の国王カラカウアは、現在のハイアット・リージェンシーの山側に別荘を構え、また、ハワイ王国最後の女王リリウオカラニは、現在のワイキキの東側を広く所有し、2軒の家を持っていた……といった具合だ。

1800年代中ごろのホノルル港周辺は、多くの会社や店舗が立ち並び、人通りも多く、また、当時は土の道だったために、馬車が通れば埃(ほこり)が舞うような状態だった。国王の公邸であり、ハワイ王国の政治の中心地であったイオラニ宮殿がある、この忙しく騒がしい港町とは違い、田園風景が広がり、静かで、サーフィンをいつでも楽しめるワイキキ……。ここで王族はつかの間の息抜きをし、外国からの客人をもてなしていた。

カラカウア王の別荘からはワルツが聞こえ、英国風の庭園を持つカイウラニ王女の自宅(現シェラトン・プリンセス・カイウラニ)には、放し飼いにされていたクジャクがゆったりと歩き回る。優雅な時間が流れるワイキキ――。その様相は、ハワイ王国の終焉(しゅうえん)と、「あるもの」の大発生により、大きく変貌を遂げていくことになる。
後編へ続く
100年で人口が8割減 ハワイ・ワイキキの運命を変えたもの
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