ワイキキの海を埋め尽くした、カメハメハ軍の襲来

 1800年代に入る直前まで、ハワイは複数の統治者によって分割統治されており、親族間の抗争や領土争いなどで、残虐な戦いが繰り返されていた歴史がある。首長の中には、全ての島を自らの支配下に置こうと他島に戦いを挑み、一時、オアフ島もマウイ島の首長の支配下に置かれたこともあった。そのような中で、ハワイの統一に向けて最強の軍隊を育て上げ、近代的な装備を整えつつあった人物がいた。ハワイ島を統治していたカメハメハだ。

 1万人にも及ぶ戦士達を、それぞれ双胴のカヌーに乗せ、ハワイ島からマウイ島に向かった。マウイ島を陥落させると、次に彼らが狙ったのはオアフ島だ。どこに上陸するか、カメハメハは既に決めていた。オアフ島の首都、ワイキキだ。1000隻にもおよぶカヌーがワイキキの沖に現れ、ついに岸に乗り上げたカヌーは、現在のワイキキビーチを埋め尽くし、ダイヤモンドヘッドの奥にまで及んだという。

 カメハメハは、この戦いに挑む前に、ハワイを「発見」したとされる英国人のクック船長と1779年に面会している。その後も英国人との交流が続いていたことから、鉄砲、大砲、火薬を手に入れており、それらを持たないオアフ軍と比べると、戦力は雲泥の差だった。オアフ軍全滅で決着がつくと、カメハメハはハワイ島からオアフ島まで(*1)を治める統治者となり、1795年、ハワイ王国の最初の王として、カメハメハ1世(カメハメハ大王)となった。

 王国が始まって間もない時期、カメハメハ大王はハワイ島とワイキキを行き来しながら統治していた。1809年、経済活動の要となるホノルル港に臨む場所に居を移したことで、ワイキキはオアフ島の首都としての役目を終えた。

(*1)カウアイ島とニイハウ島は、1810年に王国に加入した。
カメハメハ大王像(写真:Hawaii Tourism Authority (HTA) / Kazuya Kajita)
カメハメハ大王像(写真:Hawaii Tourism Authority (HTA) / Kazuya Kajita)

次ページ 王族の別荘地となったワイキキ