ワイキキでタロイモや米、バナナを栽培
太平洋の真ん中、その海底から湧き出るマグマによって形成されたハワイの島々。そこに南太平洋のマルケサス諸島から最初の移民が渡ったのは、西暦300年代から600年代と考えられている。次いで、タヒチから数多くの移民が渡り、ワイキキに人々が住み始めたのは、1400年代に入ってからだといわれている。
南太平洋からの移民は、食料となる様々な植物をハワイに持ち込み、栽培して食していた。主食として栽培を始めたのはタロイモだ。古代より、ハワイアンはタロイモを蒸し焼きにして潰し、水を混ぜて発酵させたペースト状の「ポイ」を主食とし、魚を主菜としてきた。よく知られたハワイの伝統料理に「カルアピッグ」という豚の蒸し焼き料理があるが、古代ハワイでは儀式の際や、特別な機会に食べられていたものだ。
タロイモにも様々な種類があるが、主食として栽培されるタロイモは、稲の水田のように水を張った畑で作られる。新鮮な水がある所に、タロイモの畑が作られていくのだ。ワイキキは、まさにタロイモを栽培するのに適した環境が整っていた。
ワイキキに向かって流れる3本の川から引かれる水と湧き水を、タロイモ畑に引き込み、常に新鮮な水がタロイモに触れるようにすることができる。そして何より、ワイキキは晴れる日が多く、日照時間が長い。コオラウ山脈の山頂の平均年間降雨量は、3500~4000ミリに上るが、ワイキキは750ミリ以下だ。
また、ワイキキの海、特に現在のヒルトン・ハワイアン・ビレッジの前に広がる海は、観光地開発が行われる以前は、豊かな漁場として知られていた所だ。山から川が流れ込む場所で、ロブスターを含め、多くの魚介類が生息していた。悪天候で漁に出られない際に備えるほか、位の高い人々の食事に使うために、大きな池で魚の養殖も行われていた。
1860年代に入ると、中国人移民によって、ワイキキで米の栽培も行われるようになる。バナナの栽培も盛んだった。ワイキキだけで、人々の食生活を十分支えることができるほど、立派な農村でもあったのだ。ワイキキに広がる田園風景は、1920年代に入る頃まで続いた。

オアフ島の「首都」となったワイキキ
1400年代後半、オアフ島を治める首長マイリクカヒ(Mā'ilikūkāhi)がワイキキを本拠地と定め、その後、1809年まで、およそ300年にわたってワイキキがオアフ島の首都とされていた。首長達の居住地として使われていたのは、ワイキキの中心部を流れていたアプアケハウ川の周辺、現在のモアナ・サーフライダー・ウェスティン・リゾート&スパや、ザ・ロイヤル・ハワイアン・ラグジュアリー・コレクション・リゾートのある辺りだ。
マイリクカヒから数えて6代目にあたるカクヒヘヴァ(Kākuhihewa)の時代(1600年代中ごろ)には、「その大きさが、島を統治する首長の権力の大きさを示す」とされた「ヤシの林」がその地に築かれ、ヤシの数は1万本にも及んだという。
かつてヤシの林が広がっていたこの場所は、現在、ショッピングモールのロイヤル・ハワイアン・センターになっている。そして当時の様子を再現するために、多数のヤシの木が植えられている。

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