あなたはそれでも不老不死を求めるのか

【諸行無常(しょぎょうむじょう)】

 仏教の根幹には「諸行無常」が存在する。
 「あらゆる事象が、死滅に向かって変化し続けている」という、真理を表した言葉。また、真理とは、時代が変わっても場所が変わっても変わらない「原則」のことを示す。

 老い、病気、そして死は真理です。人は必ず老います。老いて病を患います。そして必ず死ぬのです。

 そのように聞くと、死がものすごく恐ろしいことのように感じます。また、死ぬことが、不幸の極みのように感じられます。

 しかし、800歳まで生きた彼女は悟ったのでしょう。老死が決して恐ろしいことではなく、また不幸ではないことを。そして、永遠に老いず、永遠に死なないことが、決して幸せでないということを。

 比丘尼が最後に取った決断は、二度と洞窟から出ないこと。つまり、終わりなき生に自ら終止符を打つことでした。

 もちろんこの昔話が実話という確証はありません。

 けれども、仮に私たちが不老不死を手にしたならば、どうでしょうか。多かれ少なかれ、この比丘尼のような生涯を感じ、老いや死からむやみに解放させることは良いことではないと気付かされることは、想像に難くありません。

 経営者として成功し、会社は順風満帆。しかし、老いていく自分に不安を感じてしまう。そういった気持ちを、老いたタイミングでしばし持つことは否定しません。ですが、若い人へ嫉妬してしまったり、受け入れられずに沈んだ気持ちで居続けたりすることは正常な思考を阻害します。老いを受け入れる気持ちに、いつかはシフトしていくことが大切です。

 それでも不安や納得ができないと思ってしまったら、比丘尼の昔話を思い出し、本当に老いないことや死なないことが幸せかどうかを考えてみてください。

 この昔話は「飽くなき生」を渇望する私たちに、「不老不死は、本当に幸せなのか」を、時代を超えて問い続けてくれているのです。

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