ある昔話から生を考える
その問いに対する一つの答えとして、私の地元・愛知県の春日井地方に伝わる『八百比丘尼(やおびくに)』という昔話をご紹介しましょう。
昔々、まだこの地域のすぐそばまでが海であった頃のこと。嵐が去った翌日、浜辺に人魚が打ち上げられます。
上半身は人間の姿。でも、下半身は魚の姿とえたいの知れない存在です。漁師たちは扱いに困って、とりあえず神社に人魚を運び込みます。
「見たことがない、不思議な魚」が浜辺に打ち上げられたとの噂は、瞬く間に村中に広まりました。
村人たちは、一目その人魚なる魚を見ようと、こぞって神社に集まってきました。
そのやじ馬の中に、おばあさんに連れられてやって来た、一人の女の子がいました。
女の子は、大人たちが人魚について「気持ち悪い」だの、「不思議」だの話し込んでいる隙に、何と人魚の肉を一口摘んで、食べてしまったのです。
しばらくの間、村では人魚の話で持ちきりでしたが、騒動は時間とともに鎮まり、人魚のことも忘れ去られていきます。
時が過ぎ、人魚の肉を食べた女の子は、それはそれは美しい女性へと成長します。そして彼女が18歳になったとき、村の内外から、求婚話が次々と舞い込んだのでした。
彼女は結婚し、子どもを授かります。彼女を射止めた夫は、誰からも羨ましがられました。夫もまた、自慢の妻を大切にし、夫婦仲は円満。彼女は幸せでした。
ところが、50歳、60歳、70歳と年を重ねるごとに、羨ましがられていた彼女の美貌が周囲からは気持ち悪がられるようになっていきます。
なぜなら、家族は皆、老いて容姿が変わってゆくにもかかわらず、彼女の顔や体は18歳のままだったからです。
さらに時が過ぎると、夫は死に、子どもたちも死に、親戚も友達も、近所の人たちも死んでしまいます。それでも、彼女は年老いませんでした。
彼女は、人魚の肉を食べたことで、不老不死の肉体を手に入れてしまったのです。
村人たちの世代が入れ替わっても、彼女だけは永遠の18歳。若い世代の村人たちは、彼女について噂をし始めます。
「おみゃあさん、知っとりゃーすか。あそこの奥さんな、18歳言っとりゃーすけど、本当は100歳だがね」
そんな噂があちこちで耳に入れば、当然、村には居づらくなります。彼女は村を出て、遠く離れた場所に移り住んだのでした。
ところが、移り住んだ先でも同じことが起こります。
よそからやってきた18歳の若き美女を、男たちが放っておくはずがありません。移り住んだ先でも、求婚者が絶えず、彼女としても、新天地での寂しさゆえに、結婚して子どもができる。
ひとときの幸せはあれど、また夫が死に、子どもも死に、友人が死に、ご近所が死に、そしてまた別の場所に移る。
そんな悲劇を幾度繰り返したことでしょう。
彼女は800歳になったとき、自ら頭を丸めて尼僧になります。そして、山奥の洞窟に入ったきり、二度と姿を現すことはありませんでした。
この不老不死を手に入れた比丘尼の話は、福井県の小浜、福島県会津、新潟県佐渡などの海辺の地域はもちろん、春日井や栃木市西方町真名子のような内陸部にも、全国各地に分布しています。
誰もが憧れる「永遠の18歳」。
自分から望んでそうなったわけではないとは言え、彼女はまさに憧れの肉体を手にして、永遠の幸福を手にしたはずでした。
ところが、800歳になった彼女が取った行動は、世俗の幸せを捨てて、比丘尼(尼僧)になることでした。

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