佛心宗大叢山福厳寺(だいそうざんふくごんじ)住職の大愚和尚。住職を務める傍ら、事業家、作家・講演家、セラピスト、空手家という異なる5つの顔を持ち、「僧にあらず俗にあらず」を体現する異色の僧侶。中でも、YouTube上での説法は一部のユーザーから人気を集め、チャンネル登録者数は49万人を突破。和尚の説法を頼りとする経営者のファンも数多く存在します。初回のテーマは、「経営者の嫉妬」。仏教の奥深い教えの中に、悩みを解決するヒントがきっとあるはずです。

佛心宗大叢山福厳寺住職・大愚和尚
佛心宗大叢山福厳寺住職・大愚和尚

「嫉妬」をいかにして手放すか

 経営者であれば、同業他社の成功を見て嫉妬。事業に情熱を注いでいれば、劣等感やいら立ちから嫉妬心が湧き上がるのは、誰もが一度は体験したことがあるはず。でも、成功者をまねしたり、攻撃的になったりしてもビジネスというのは続きません。嫉妬に駆られてしまえば、近視眼的な思考となり、合理的な経営判断は感情的な行動へと置き換わってしまうでしょう。

 嫉妬は時に、闘争心ややる気につながるともいわれますが、多くの場合自分らしさを失い、攻撃的になってしまったり、劣等感になって自暴自棄になってしまったり……。なぜ人は人に対して嫉妬をしてしまうのでしょうか。

 それを知るためには、仏教用語の元となった「我慢」という言葉を知ることが近道です。

【我慢(がまん)】

煩悩の一つ
「我(ガ)」が起こす自己意識の「慢(マン)」の発生によっておきる適正でない心の状態

 我慢という言葉は煩悩の一つで、 “我(ガ)”が起こす自己意識の“慢(マン)”の発生によっておきる適正でない心の状態を指します。自分という存在は、この宇宙で最も大切にされる存在という認識を本能的に持っているものです。そして、自分が一番大事と考える人と同じ考えを持った人がぶつかり合うことで、我がぶつかり合い自我を意識します。しかし、本能的にぶつかり合うことは、軋轢(あつれき)を生み人々の生産的な活動を失わせます。

 人との関わり合いにおいては、我慢の状態になるとどうなるでしょうか。自分という存在を知らしめよう、好かれよう、優位に立とうという感情を持ってしまいます。それが、嫉妬へ変容していくのです。慢によって起きる瞬間的に比べてしまう心の持ちようは、次第に常に周りの人よりも優れていたいという気持ちへとつながっていきます。他人と比較するのをやめよう、周りをみるのをやめようという考え方では嫉妬は無くならない、見つめ直すべきは我なんです。

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