故人のクローンは「お墓や遺影の代わりにはならない」

 法的な問題も解決していき、社会に受け入れられた先の世界についても尋ねてみた。市民権を得た故人のクローンはお墓や遺影に並ぶ位置にいるのか、あるいは別の存在なのか。

 「黎明(れいめい)期においてはお墓や遺影の代替という考え方も出てくると思いますが、やがては別の存在になっていくのではないでしょうか。

 お墓や遺影を前にしたとき、人は自身のイマジネーションの中で故人とコミュニケーションを取ると思います。それがデジタルクローンになると客観的なコミュニケーションが取れてしまう。生前のその人と会話するのと同じ感覚になるわけです。お墓や遺影と同じと意識し続けるのは難しいでしょう」

 米倉氏は故人と相対する新たな存在として定着するとみる。そして、やがてはお墓や遺影を過去のものにしていく未来すら描いている。

 「50~60年は選択肢として残るでしょうが、100~200年先には古(いにしえ)の存在になっているだろうと思います。洗濯機が普及した現在において、あえて洗濯板で洗う選択肢が浮かばないのに近いのかもしれません。

 私はイマジネーションの力を信じるほうの人間なので、失われるものの大きさを感じるのですが、技術の発展と人々の思考の変化を考えると結果的にはそういうふうになっていくんだろうなと思います」

 彼岸や命日、あるいは何かの相談に乗ってもらいたいときには、メタバースにログインして故人のクローンに会いに行く。22世紀にはそんな行為が当たり前になっているかもしれない。そう考えたときに鬼籍に入った恩人や親族が脳裏をよぎり心が躍った。ただ、心に引っかかる部分もある。

 生者と故人の関係性は様々だ。弔いはするが、再びコミュニケーションを取りたいとまでは思わない距離感の故人もいる。尊敬や遠慮、罪悪感などからあえて対面を避けたいケースもある。自ら信じる宗教観や死生観の中で向き合いたい人もいるだろう。それらのニーズをデジタルクローン1本で対応するのは難しいのではないかと思える。

 しかし、故人のクローンにしても直接対話するだけでなく、生成してログインしないまま対話する可能性を維持することを墓守の代わりとするなどの向き合い方もできそうだ。どんな道筋を選ぶのかは、やはり100年後や200年後の人類に確かめるしかないだろう。

 ただ、米倉氏のクローンはこんなことを言っていた。開発中のメタリユニアで披露してもらったデモムービー内での会話だ。

 米倉氏「メタバースについてどう考えていますか?」

 米倉氏のクローン「ゲーム以上のリアリティーを深読みすべきではないと考えています」

 22年時点のクローンの発言と捉えるべきか、恒久的な真理と捉えるべきか。何ともいえないが、心に残ったのは確かだ。

この記事はシリーズ「古田雄介の「デジタル故人とは何か?」」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。