デジタル故人も定着するのか
故人をしのんだ芸術作品や遺影とデジタル故人にはどんな違いがあるのだろうか。
はっきりと異なるのは歴史の積み重ねだ。登場したばかりのデジタル故人は見る人によっては奇異に映るし、どう扱えばいいのか文化圏共通のマニュアルもできていない。しかし、この問題はいずれ解決すると公也さんは考えている。
「VTuber(バーチャルユーチューバー)やメタバースなどがもっと浸透して自分のアバターを持つことが普通になれば、デジタル故人に対する抵抗感は自然と減っていくでしょう。すると、死後にそれを残すという発想も増えてくるはずです。要は数の問題だと思うんですよね。事例が増えてありきたりのものになっていけば、写真を残すことと違いがなくなっていくのではないかと」
確かに、遺影写真は必ずしも本人の許可を得ているものばかりではない。本人が生前に指定しなければ、残された側が選ぶことになる。そうして本人に無許可で選ばれた遺影は、葬儀もメモリアルな空間に飾られ続けたりする。デジタルの痕跡も残るのが当たり前になって、メモリアルに扱われるようになれば、同じ道をたどるというわけだ。
前述のとおり、敏子さんは生前に妻音源の活用を承認していない。公也さんはそのことを棚上げせず、事実として受け止めながら妻音源を扱っている。それで良いと結論している。
ただ、抵抗感の強まりが文化への浸透を食い止めることもある点は警戒すべきだろう。現に、デジタル故人としてのサービスを目指した「Eternime」は日の目を見ることなく姿を消した。アバターを作る行為がどれだけの層に届くか、潜在的なニーズを満たせるかも未知数だ。今後は、デジタル故人に対する抵抗感を抑える取り組みも欠かせないように思える。
それを担うのは、デジタル故人を提供する側ということになるだろう。そこは次回におき、今回はデジタル故人についての公也さんの考えで締めたい。
「本当はずっと一緒にいるのが一番いいわけです。でも、それはかなわない。今できることとしては、すごくいい技術の使い方なんじゃないかと思っています」
公也さんのYouTubeページ(https://www.youtube.com/c/koyamatsuo)
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