デジタルによって、より結びつきが強くなる
少なくとも公也さんはデジタル故人に対して過剰な期待感は抱いていないという。敏子さんと同一の存在ではなく、敏子さんと対話するための「触媒」として曲作りの時間を大切にしている。
「彼女はいつも私の傍にいるので、媒介となる何かがなくても直接対話できます。でも、実際に音で感じられるもの、目で見られるものがあれば、より結びつきが強くなる。デジタルはそういう触媒になってくれるんです。
その意味で、故人を思って作った彫刻や絵画、文学などに近いのかもしれません。妻に関する詩や短歌をまとめた高村光太郎の『智恵子抄』であったり、亡き友人をしのんだモデスト・ペトローヴィチ・ムソルグスキーの『展覧会の絵』であったり。かつては特殊なスキルのある人しか実現できなかったことが、デジタル技術の登場により、多くの人に開かれたところはあると思います」
故人の「人となり」、あるいは思い出を留めておきたい。そうした思いを昔の人も抱いていたのは確かだ。その思いが芸術作品となることもあれば、風習として広まることもある。
欧米の近代史を振り返っても、遺体を撮影して故人の姿を留める遺体記念写真(ポストモーテムフォトグラフィー)や死後肖像画が流行しているし、日本でも江戸時代には亡くなった歌舞伎役者などの描いた浮世絵「死絵(しにえ)」が人気を集めた。岩手県では故人を表現した「供養絵額(くようえがく)」などの風習が残っている。遺影が故人を偲ぶものとして大切にされるようになったのも日本では日露戦争(1904-1905)頃からだが、すでに定着している。
そして、デジタル技術が発達したいまでは、個々人が匠の技に近い表現を試せるようになった。前回触れたように、故人のつぶやきからチャットボットを作ったり、残された写真や動画から3Dアバターを作ったりできるサービスはすでに生まれている。もちろん、公也さんほどの熟練の腕を身につけるのは容易ではない。だが、サービスを使って新たな故人の息吹を感じることは誰でもできる。
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