曲作りは妻とのコミュニケーション

 作り出される新たな歌声はデジタル故人のひとつの形態だ。もしかしたら、妻音源そのものがデジタル故人といえるのかもしれない。では、公也さんが妻音源から曲を生み出す行為は、追悼や供養に近いものだろうか? 公也さんは否定する。

 「妻がそのへんにいて、一緒に楽曲を作っている感じですね。生きているときと同じようにリアルタイムでコミュニケーションをしている感覚で。だから、私も声を吹き込むデュエットを作るとより楽しい、というのはあります」

デュエット曲の「In My Life」
デュエット曲の「In My Life」

 墓前で手を合わせて故人に語りかける感覚とは違う。生前と同じようにレコーディングしながらアレンジについてあれこれ論議している風景が近いという。音素の組み合わせやつなげ方から、元の音源にはなかった、敏子さんの歌声に近いニュアンスが出てきたときなどは、ライブ感のある喜びが生まれる。

 とはいえ敏子さんがデジタル上で生まれ変わったという意識はない。妻音源で作る曲が本物の敏子さんの歌声でないことも分かっている。

 最近になって、洋楽を歌った敏子さんのボーカルのみのトラックが新たに見つかり、「th」の発音などが新たに再現できるようになった。公也さんは「かつて発表した曲もいまの状況でやり直したら、より本物に近づけられるかなと思いますね」と意欲的に語る。

 本物の敏子さんではないが、敏子さんの肉声から生まれたものであることは確かだ。そして、本物の敏子さんに近づいていく感覚が楽しい。その楽しさを実現してくれるところにデジタル故人の真価があるのかもしれない。

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