亡くなった人のSNS投稿やデジタルデータをAI解析によって生成する「デジタル故人」が市民権を得るには何が必要なのか。それを突き詰める前提として、デジタル故人の潜在能力を考えてみたい。デジタル故人には生前の発言をベースにその人らしい言葉や思考パターンを再現するチャットボットや、往年の姿を3Dで再現するアバター、故人の口調やしぐさ、熟練した技術を再現するものなど、多彩な種類がある。そもそも、そうしたデジタル故人は残された人たちに何をもたらしてくれるのか。
長年デジタル故人を遺族として向き合ってきた人から話を聞くべきだろう。そう考えたとき、真っ先に頭に浮かんだ人物が松尾公也さん(以下公也さん)だった。亡き妻が残した数曲の歌声を音源にして、新たな歌唱作品を作り続けている人物だ。
残された3曲の音源から新たな歌声を作る
出版業界に長く身を置く松尾公也さん。彼が、合成音声による楽曲作りを始めたのは9年前に遡る。2013年6月25日に最愛の妻である敏子(よしこ)さんをがんで亡くしたことがきっかけだった。
学生時代から別れのときまで、音楽は二人の生活を彩っていた。また、公也さんはかねて「初音ミク」に代表される合成音声ソフトを使って楽曲を作成しており、ニコニコ動画(当時)などにアップしていた。合成音声ソフトを使って作品をアップする人は動画共有サイトで「ボカロP(ピー)」と呼ばれており、公也さんも「松尾P」として一定の評価を得ていた。喪失感を埋めるために「妻音源」を生かすのは、自然な流れだったといえる。
亡くなった後に音源を使わせてほしい。それを伝えるより前に敏子さんの命に限界が来てしまった。従って、音源用の収録はかなわず、公也さんの手元にはわずか3曲分の音源しか残っていない。合成音声のベースには通常2時間程度の専用の収録が必要だから、素材としては不十分だ。
それでも残された「妻音源」から子音と母音を取り出して組み合わせることで、ある程度の不足は補えた。たとえば、ワ行の子音は見つからなかったが、母音の「ウ」を短くして「ア」と重なることで、「ワ」に近いニュアンスを出すなど工夫を凝らした。
そうして作られた楽曲の多くは動画共有サイトにアップしている。3人の息子の成長を支えながら、通勤中や休憩時間を使って作り続け、公開作は優に100曲を超えた。現在も公也さんのYouTubeページで、誰でも視聴することができる。
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