デジタル故人のヒントは「位牌(いはい)」

 「操り人形」感のないデジタル故人はどうしたら構築できるのだろう?

 とりわけ重要なのは、故人の形見であることだと思う。故人が残した遺品であっても、残された人たちが故人との縁を尊重して扱わないと、形見としての意味合いはすぐに消失する。売りに出したり別物に作り替えた遺品は、一般的に形見とは呼ばない。

 形見は故人との縁があるからこそ意味を持つ。デジタル故人が「形見でなければ成立しないもの」になれば、故人の意向や尊厳を無視した時点で存在意義を失うはずだ。

 その点で、生前に本人がアバターを育てるタイプのデジタル故人は、これから支持を広げる可能性がありそうだ。チャットを重ねることで自分のコピーボットを育てていく「Replika(レプリカ)」や、486項目のアンケートに答えて自身のアバターを作り、細部を訂正しながら精度を高めていく「LifeNaut(ライフノート)」など、数年かけて支持を広げているサービスもある。

「Replika」のトップページ。日本語にはまだ対応していない
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 また、死後に構築するタイプであっても、安易には扱えない厳粛な空気をまとわせることで、形見としての風格を得る方法もあると思う。

 例えば、日本では死後に戒名を授かり、その名を記した位牌(いはい)を依り代として大切にする文化がある。本来の戒名は出家した仏弟子に与えられるもので、位牌も儒教をルーツとする説がある。位牌が今の地位にあるのは、そうした様々な価値観と都合が交わった結果だ。

 生前には存在していないにもかかわらず、位牌は故人と深くつながりのある大切な存在として広く認知されている。そうさせているのは伝統宗教の厳粛さであり、大切なものだと信じる多くの人々の思いだ。

 形見以上の存在といえる位牌の代わりになるのは不可能に近くても、デジタル故人を故人と深く結びつけるヒントにはなるだろう。少なくとも、死後でも十分に正統性を得られることを証明してくれている。

 そうした個々の納得ベースでデジタル故人が広がっていけば、法律や業界のガイドラインだけに頼らず、ごく自然なかたちで市民権が得られるのではないかと思う。

 現在のデジタル故人サービスには技術力や資本力の押しつけを感じることが、ままある。正直にいえば、「いかがわしく感じる」といった意見が出るのも理解できる。そうではなく、もっと草の根レベルで人の心に根ざした追悼の場として育てていくにはどうしたらいいのか。

 次回はそこを追いかけてみたい。

この記事はシリーズ「古田雄介の「デジタル故人とは何か?」」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。