操り人形に見えたら、終わり

 一方で、死後に作られたデジタル故人を依り代とするのは、少しストーリーが必要になる。

 死後に用意された追悼の場はその人が生きているうちは存在していないわけで、構築段階では故人との連続性がない。依り代として説得力を持たせるためには、不連続性の溝を埋める何かが必要だ。例えばリアルのお墓であれば、カロート(納骨棺)に納めた遺灰がその役目を引き受けている。

 これがデジタル故人ならどうか? 生前に本人が残したテキストや画像、行動履歴などを盛り込むだけで連続性を信じさせるのは無理がある。デジタルデータは基本的に複製が容易であり、生前に使っていたサイトなどから移行させた時点でオリジナル性が消失してしまうからだ。まして、それらのデータを使って故人を再構築するデジタル故人となると、市民権を得るのは難しい。

 この連続性が確保できずに姿を消すデジタル故人サービスは多い。

 例えば、デジタル故人サービスの先駆のひとつに、米国のベンチャー企業が2014年に計画を発表した「Eternime(エターナム)」がある。SNSなどから集めた故人のデータを素材にアバターを作成するというもので、4万6000人を超える利用希望者を集めた。しかし、このサービスは実働することなく2020年5月までにサイトが消滅している。同社の取り組みに倫理的な反発を覚える人が多く、そこを解消する糸口が見いだせなかったことが要因のひとつだったといわれている。

かつての「Eternime」のトップページ
かつての「Eternime」のトップページ

 故人との正統な連続性が信じられるストーリーを提示しなければ、死者の冒涜(ぼうとく)と捉えられてしまうリスクがある。精巧に再現できる技術力が伴っている場合は、なおさら危険だ。

 2020年の米大統領選に際して、2年前の銃乱射事件で落命した男性をCGで“復活”させて、「ぼくの代わりに投票してほしい」と呼びかけるキャンペーン動画が物議を醸した。日本でも、2019年末の紅白歌合戦で披露された「AI美空ひばり」が曲間に発した「皆さんお久しぶりです」というせりふに抵抗を感じた人は少なからずいた。

 デジタル故人の振る舞いを決められる立場の人間が、故人を都合のいい操り人形にしているのではないか――? 大勢の人にそう思われた時点で、そのデジタル故人は終わりだ。

 しかし逆にいえば、受け取る側が「故人を都合のいい操り人形にはしていない」と安心できるストーリーが付与できれば、デジタル故人の活躍の場はグンと広がるはずだ。故人を追悼する、かけがえのない依り代にもなれるだろうし、故人が人生をかけて取得した思考法や技術を後世に伝える媒体になる可能性が十分にある。

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