古来多くの人たちは、その先の時代を生きる家族や他人に向けて、口伝や書物、はたまた唄などで生きざまや考え方などを残してきた。Windows 95の発売以降、多くの人が個人向けのデジタル機器を持つようになり、情報をデジタル上に残すことも今では当たり前に。その結果、病気と闘う「闘病ブログ」をはじめとする、人々の生きた記録がインターネット上に存在するようになった。そこには、脚色なく故人が死に向かう生きざまが垣間見える。この故人、あるいは故人になったと思われる人が残し、更新が停止したサイトには何かを引き付けるものがあり、多くの人が来訪している。

 そうしたネット上の故人についてまとめた書籍『ネットで故人の声を聴け 死にゆく人々の本音』を上梓(じょうし)した古田雄介さん(以下、古田さん)に、インターネット上の死について興味を持った経緯や、闘病ブログについて話を伺った。

(写真=PIXTA)
(写真=PIXTA)

故人となった芸能人「飯島愛」「川島なお美」「桜塚やっくん」のブログが、残されて墓標のようにファンがメッセージを書いていく。そういった話はたびたびニュースとなっていました。しかし、一般人が日記サイトやSNS(交流サイト)上に記した内容が、その人の死後も読まれているということを本書を読んで初めて知りました。古田さんが、こうしたネット上に残されたメッセージに興味を持ったきっかけは何だったのでしょうか?

古田さん:私はもともと死について強い関心があり、インターネット上にある故人のサイトも以前から訪れていました。そのうち「誰にも引き継がれずにいたらどうなってしまうのだろう?」という疑問がわいて、全体像をつかむために故人のサイトのデータベースを作って定期的に巡回するようになりました。2010年ごろですね。それがきっかけではありますが、本当の意味で「故人の声」に注目するようになったのは巡回が習慣化した後です。

 巡回しながらサイトを読み込んでいるうちに、そこでしか記されていない本音が残されている、ということに気づいたんです。

 例えば「俺は、がんは怖くない!」と書かれていたとき、本当は怖いけれど自分を鼓舞していたり、それよりも家族との別離が怖かったり、多くの人にその先の気持ちを知ってほしかったり、いろいろな感情がのぞくことがあります。それが年末年始や誕生日、告知を受けた日などに繰り返し語られるうちに、どの思いが特に強いのかがおぼろげに感じ取れたりするんですね。読者からの反応やそのときの自身の状況から感情が揺らぎ、だからこそブレない部分がはっきり見えることがあります。

今でこそ古田さんは、「デジタルと死」に関する分野でエキスパートという印象があります。この分野に踏み込むことに葛藤はありませんでしたか?

古田さん:仕事として追いかけたい思いは2010年ごろからすでにありましたが、当時はまだ死をタブー視する空気が強くて難しい状況でしたね。もともとデジタル系情報誌でよく原稿を書かせてもらっていましたが、付き合いのある編集部に企画を持ち込んでも死に関連する内容は「没」にしかなりませんでした。当時デジタル系雑誌に死をテーマにする特集は前例がほぼなかったため、当然といえば当然です。警戒されて関係が切れた編集者もいましたね。

 ただ、ある程度は覚悟していたので、そこまで気にはなりませんでした。幸いなことに2012年以降は「デジタル×死」のテーマで書かせてもらえる媒体が増えていき、現在に至ります。世間的に2010年代半ばから死をタブー視しなくなってきたのも追い風になりましたね。今はビジネス誌や写真週刊誌の表紙にも「死」「終活」「相続」といった文字が躍ることも珍しくなくなりました。

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