コロナ禍での判断ミス、第一線から退く覚悟を決めた

 創業から20年、315人のスタッフを抱える企業へとSmappa!Groupを成長させた手塚氏は今、徐々に社員への権限委譲を進めている。そのきっかけは20年の新型コロナの感染拡大だった。「夜の街」として注目を浴びたあのとき、渦中では何が起こっていたのか。

 「実は僕はコロナ禍の2年前くらいにコレラの勉強をしていて、感染症についての本もたくさん読んでいました。だから、感染症については、それなりの知識を持っていたんです。過去の歴史から見ても、必ず緊急時にはスケープゴート(いけにえ)のような存在ができる。恐らく、それは我々の業界になるだろうなと容易に想像はできた。そうやって感染症に対しては冷静に受け止められていた一方で、会社を継続させるための経営判断は、浮き足立っていたと思います」と手塚氏は当時を振り返る。

 もともと、Smappa!Groupは、ホストクラブ業界の中ではブルーオーシャン戦略をとっていた。一般的にホストクラブの主要顧客はキャバクラをはじめとする同業者の女性だが、同グループは夜の飲食店とは縁が薄いような一般客をターゲットにサービスを展開し、それを強みに売り上げを伸ばしてきた。

 ところが、一度目の緊急事態宣言終了後、営業を再開しても一般客は戻らない。手塚氏はターゲットを他のホストクラブと同様、夜の街で働く女性にシフトした。しかしこの決断には悔いが残っているという。

 「20年貫いてきたのに、ブレてしまったんですよ。たとえ店舗数が減ったとしても、一般客が戻るまでサービスを研ぎ澄ますなど、さらにエッジを効かせる方法はあったはず。でも、客がゼロになった恐怖で、中途半端に方針を変えてしまった。やっぱり、ブレたらダメですね。20年で最大の経営ミスだった。このミスはもう、取り返しがつかないと思っています」(手塚氏)

 これを機に、自分が第一線に立って経営判断をするのではなく、若手社員たちにどんどん権限委譲していこう、と手塚氏は決めた。

感染の温床として注目を集めた歌舞伎町。コロナ禍ではさまざまな経営判断を迫られた。Smappa!Groupが運営する飲食店は休業して、国の協力金を得たが、結果的に営業を続けた店舗がもうかったという現実もある(写真:鈴木愛子)
感染の温床として注目を集めた歌舞伎町。コロナ禍ではさまざまな経営判断を迫られた。Smappa!Groupが運営する飲食店は休業して、国の協力金を得たが、結果的に営業を続けた店舗がもうかったという現実もある(写真:鈴木愛子)

 「20年で会社もそれなりの規模になり、ちょっとした大企業病みたいになっていた部分もありました。やはり組織は進化させていかなければダメですよね。コロナ禍によって自分が一歩引く覚悟ができましたが、いいタイミングだったと思います。
 過去の経験で組織を運営するのは、おもてなしを生業にするこの業界には向きません。例えば、45歳の僕にとって、21歳と23歳って同じなんですよ。でも、若者にとってのその2年は全然違う。『今の21歳と23歳は違うんですよ』と言える人に経営を任せるほうが絶対にいいだろうと思っています」(手塚氏)

 自身の経営判断をここまでまっすぐ「失敗だった」と言える経営者が、どれだけいるだろうか。20年にわたり拡大させてきた事業を整え、誰にどう任せていくか。幹部の教育も必要になる。ここからまた、手塚氏の新たなステージが始まる。

(後編・歌舞伎町は人を選別しない。だから多様性が生まれる 手塚マキへ続く)

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