佐橋氏:ヘンリー・キッシンジャー氏が数年前にインタビューで米中関係の難しさについて、「ソ連との問題は戦略的だったけれども、中国との対立の根本は文化的な面にある」と。そして「共存という解を導き出せるのだろうか」と言っていました。彼のスタンスは、それでも中国と共存すべきだというものですが、文化的な隔たりがあると、やっぱり交わることがなかなか難しい。
これだけグローバル化した中で、世界の経済の中心に座っている大国が米中であることを考えると、米ソ冷戦以上に、世界の全ての地域に影響を与えるような対立に発展していく可能性がありますね。
中国が共産党統治の安定性を重視しているのは変わらない部分だと思いますが、一方で、米国や世界に対する出方というか対応の仕方について途中で変えましたよね。ギアをあげたといった方が適切でしょうか。それまでは韜光養晦(とうこうようかい)を続けていました。
きっかけはおそらく、グローバル金融危機、いわゆるリーマン・ショックの頃ではないかと思います。もう1つトランプ大統領の登場もそのきっかけにはなったと考えますが、北岡先生はこの転換点をどこと考えますか。
北岡氏:私も認識は同じです。はっきりと覚えています。2008年5月、福田康夫首相と胡錦濤(フー・ジンタオ)国家主席の首脳会談がありました。当時、私は日中歴史共同研究の委員会で日本側の座長を務めていて、胡錦濤主席は共同研究を高く評価していました。
ところが、首脳会談後に、中国内で、日本に対して譲りすぎだという声が出て不満が高まった。2008年の北京オリンピック聖火リレーの際、妨害行為を防ぐためにランナーを警備スタッフが囲んで一般観衆を排除したことについて世界から批判を浴びたのですが、そのあたりから中国ナショナリズムがフツフツと沸いてきて、オリンピックで自信をつけた。その後リーマン・ショックが起き、西側諸国は傷ついたが、中国はこれを乗り切って、さらに自信を深めた。そう見ています。
それまで中国には、理想としての民主主義を否定する人はあまりいませんでした。それがオリンピックを境に様相が変化し、我々はもう米国流の民主主義とは違うんだ、という声が強まった。2008年が転機だというのはご指摘の通りです。ただ、こうした変化に対して、米国の対応は遅かったと思います。
佐橋氏:米国も徐々に中国の変化に気づいていきますが、中国への政策的な対応を本格化させたのは、私の認識ではオバマ政権(2009~17年)の終盤です。南シナ海への海洋進出やサイバー攻撃問題で少し頑張ってみた程度でしたが。
ただ、その後にトランプ政権が誕生します。私はトランプ大統領の登場が、中国転換の2つ目のきっかけと考えています。米国の官僚や軍が主導して、中国への備えを高めるような動きが見られた。中国は米国を懐柔するような動きを見せながら、同時に米国不信を深め、従来の関係を足元から見直し始めます。それが現在にもつながっていると思います。
北岡氏:米国の対応が遅いのはいつものことですね。ただ、私の認識では、もう少し前くらいでしょうか。中国の産業スパイを摘発し始めた頃です。あの頃から警戒し始めた印象があります。中国の南シナ海への海洋進出について、日本から米国に何度も警告を出しましたがなかなか反応しませんでした。中国側が「太平洋は広いから東側は米国、西側は中国が管理すればいい」という乱暴なことを言った際に、米国は即座に厳しく反論しませんでした。「大した反論がないのだからいいんだ」と中国は感じ取り、南シナ海の埋め立てが進んでしまったのは非常に痛かった。
佐橋氏:当時、日本の外交当局者が、オバマ政権は第2期より第1期の方がいいと言っていましたが、1期目は口だけでほとんど何もやっていない。2期目は航行の自由作戦などを公表し始めるものの、効果は不十分でした。
北岡氏:米国の政府が国民の意思の全てを代表しているわけではないし、産業界は中国市場でのビジネスに積極的です。そういった多様な利害を一貫して動かすには、ものすごいパワーが必要になります。
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