源平藤橘の系譜から出たのではない武家もいます。いわゆる土着の開拓農民、豪族が武士となったパターンです。
この場合は、土地の名前を姓とするケースが多くあります。前述のように、北条氏は平氏の傍系だと称していましたが、残存する北条のいくつかの系図は系譜が異なっており、真実は分からないままなのです。私は、北条は伊豆国北条郷(現・静岡県伊豆の国市)に土着していた、伊豆の地方豪族だと考えてきました。
女性に優しかった政子
ところで、政子は嫉妬深く気性が激しいことで知られています。のちの2代鎌倉殿・頼家を妊娠中に、頼朝が亀の前(かめのまえ)という愛妾(あいしょう)のもとに通っていると知らされると、嫉妬に駆られて激怒して、亀の前が住んでいる邸を襲撃して打ち壊し、亀の前はほうほうのていで逃げた話は有名です。
それでも政子の怒りは収まらず、亀の前をかくまっていた頼朝の右筆(ゆうひつ、文官)を、遠江国(とおとうみのくに)に流罪にしたほどでした。
当時は貴族も有力武家も、本妻のほかに複数の愛妾を持って妾宅に通うことはごく一般的でした。子供を多数持つことで、一族の勢力を大きくするためです。でありながら、政子は夫が妾(めかけ)を持つことを許さなかったのです。
その一方で、政子は女性に優しい人でもありました。
文治(ぶんじ)2(1186)年、頼朝と対立した源義経(よしつね)の愛妾・静御前(しずかごぜん)が捕らえられ、鎌倉へ送られて頼朝らの前で白拍子舞(しらびょうしのまい)を踊ることになりました。そこで静は義経を慕う歌をうたい、頼朝はこれに激怒します。
すると政子は、「流人(るにん)だったあなたと結ばれたとき、平家に知られることを恐れた父は、私を家に引き戻した。それでもあなたを思い、あなたのもとへ逃げました。石橋山の戦いであなたが挙兵したときは、毎日不安の日々を送りました。今の静の思いは、あのときの私と同じです。この歌には義経に対する静の貞節さが感じられます」と言って、頼朝の怒りを静めたといいます。
そのうえ、静とその母が京に帰るときには、貴重な宝物を多く持たせました。
このほかにも、政子は夫が戦死した女性など、不遇な女性たちが生活していくための援助を惜しみませんでした。滅ぼされた木曾義仲(きそ・よしなか)の妹・宮菊姫(みやぎくひめ)に美濃国の一村を与えたという話もあります。
こうした各方向に行き届く面倒見の良さによって、頼朝亡き後、頼朝の後家(ごけ)という1つのシンボル、鎌倉幕府の象徴として、幕府を担っていくことになったのだと思います。
(つづく)
700年続く武家政権の創始と日本の中世とは何か、を解明。
平安の律令政治が崩れていく中、時代を再構築できない院、平家。源頼朝は、先行きの見えないこの時代に登場する。
変革期に現れる混沌の中に、光明を見いだし、新時代、日本の中世を形づくっていった立役者たちの成功と失敗。
頼朝はじめ、中世草創期の立役者たちは何を成し遂げ、何を間違ったのか……。
【主な登場人物】
後三条天皇、白河上皇、鳥羽上皇、崇徳上皇、後白河法皇、以仁王、藤原忠実、藤原頼長、藤原信頼、平正盛、平忠盛、平清盛、平重盛、源為義、源義朝、源頼朝、木曾義仲、安倍晴明、大江匡房、鴨長明、信西、西行、文覚、運慶、北条時政、北条政子、北条義時、三浦義明、上総介広常、千葉常胤
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