龍馬はなぜ殺されたのか

 晩年の龍馬はかわいそうでした。あくまで第三の道にこだわり、舌先三寸で自分をアピールしながら、活路を探っていました。第三の道として戦争を回避するような話し合いに、一生懸命になっていたようです。しかしどちらにもいい顔をするので、薩摩からも長州からも、さらに土佐からも敵ではないか、と疑われるようになってしまいます。

 その頃、薩長を中心とする討幕派は振り上げたこぶしをおろせなくなっていました。

 大政奉還が実現したものの、東日本は徳川家を支持する藩が多く、多数決なら慶喜が有利でした。薩長の武力による討幕ではなく、龍馬が考えていたような話し合いによる第三の道が実現すれば、まったく異なる形の明治維新になった可能性もあります。

 龍馬が誰に殺されたのか、はっきりしません。なぜ殺されなければならなかったのか。さまざまな説がありますが、明治維新の直前というタイミングであることに、私は注目しています。

 私は土佐藩の後藤象二郎が龍馬の暗殺に動いた可能性があると考えてきました。

 土佐藩の元藩主で最高権力者だった山内容堂(ようどう)は、土佐勤王党を弾圧し、皆殺しにしようとしました。実際にリーダーの武市半平太(たけちはんぺいた)ら主要メンバーは殺され、生き残っていたのは坂本龍馬と中岡慎太郎(しんたろう)くらいでした。(大政奉還がなって)もう龍馬は不要と考えた可能性があります。

 龍馬から学ぶべき点は、第三の道にこだわり続けて、あくまで戦争を回避して、話し合いで物事を解決しようということに一生懸命になっていたことです。龍馬がオリジナルで考えた世界がどういうもので、本当にその世界が成立したらどうだったのか。明治維新で何が起きる可能性があったのかを考えるべきだと思います。歴史に学ぶためには小説の世界ばかりを追いかけてはいけません。

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