「うまい牛丼を作ってみろ」

 しかし、増岡氏はこうした意見を鵜呑みにしなかった。「吉野家が1970年代に急成長できたのは、それなりの良さがあったからだ。自分でそれを見極めずに事業を変えるのは無責任」。そう考えた増岡氏は、経営破綻に至った原因を「単品商売の限界」ではなく、売り上げ至上主義による急速な出店と、合理化のために冷凍乾燥肉や粉末タレなどを使って牛丼の味を落としたことだと判断した。無謀な店舗展開を改め、品質の向上に取り組むことに再建の望みを賭けた。

 増岡氏にそのヒントを与えたのは、1人の店長の言葉だった。倒産後しばらくして増岡氏の元に駆けつけたその店長は「私にもう一度、おいしい牛丼を作らせてほしい」と嘆願した。聞けば、常連客の1人が牛丼を一口食べた後に、お茶を取り上げ、丼の中に注いだのだという。味が落ちたことに対する顧客からの無言の批判だった。増岡氏はこの話を聞いて、品質向上が最優先課題だと悟った。

 その後、増岡氏は若手幹部を呼んで「この場でおいしい牛丼を作ってみろ」と注文を出した。普段、牛丼を口にしない増岡氏でも、それは「素直にうまい」と感じるものだった。幹部たちにもその牛丼を食べさせたうえで、「この味を復活させよう」と誓い合った。吉野家の復活はそこから始まった。

 それから20年余り。時流に流されず、自ら考えて判断するという増岡・今井両氏の教えは、今でも吉野家の経営に脈々と受け継がれている。話題となった昨年の牛丼値下げについても、安部社長は競合他社が値下げする中で、安易な追随はしなかった。店舗を限定してキャンペーン価格を設定し、消費者の反応を見たり、品質やサービスの低下を招かないように事前の準備を整えたうえで、値下げに踏み切った。安部社長の経営スタイルには、再建当時の教訓が今も色濃く反映されている。

 増加の一途をたどる企業倒産に関して、最近では「構造改革を進めるためには、ある程度の淘汰は仕方がない」といった論調が目立つ。だが、その中には、吉野家のように的確な手法を用いて再建することで、社会的価値を高められる企業が埋もれているのではないか。また、その半面、経営責任を取らずにトップがそのまま居残るなど、法律に沿った再建の原則を逸脱したケースも目立つ。

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