「もう会社を潰してくれ」

 もちろん、両氏とも管財人の経験があったとはいえ、外食企業の経営については素人も同然だった。増岡氏に至っては、吉野家の存在すら知らなかった。しかし、そんな両氏が意気消沈する社員を鼓舞し、商品力やサービスの向上を指揮して、死に体同然だった吉野家を復活させたのである。

 吉野家に乗り込んだ両氏がまず取り組んだのは、自分自身の意識を変えることだった。実は吉野家は外食産業として初めて更生法を申請しており、法曹関係者の間でも、更生法を適用してまで存続させる価値がある会社かどうか議論になっていた。増岡・今井両氏も、内心は半信半疑だったのである。

 だが、裁判所の要請に基づき、いったん管財人を引き受けた以上は職務を全うするしかない。そこで今井氏は「『吉野家は社会的に更生する価値のある会社だ』とまず自分に思い込ませることから始めた」と振り返る。その論法はこうだ。

 更生法申請前の吉野家の売上高は1日に約3000万円。1食300円とすれば1日の販売量は約10万食に当たる。1人1食とすれば、人口10万人の地方都市の全住民が毎日牛丼を食べている計算になる。吉野家はそれほど消費者から必要とされているのだと考えた。

 更生法申請後、吉野家の社員の士気は最悪の状態にあった。倒産に至るまでの経営権を巡る社内抗争に疲れ、世間の冷たい批判にさらされて再建への自信を失っていた。前途に見切りをつけ、会社を去る社員も多かった。

 「もういいから会社を潰してくれ」。吉野家に乗り込んだ増岡氏に、最初に浴びせられた社員の言葉はこうだった。だが、そこから両氏は、連日のように会社に残った幹部を本社近くの飲み屋に連れ出し、吉野家の存在意義や再建の可能性について語り始める。

 自らのポケットマネーで飲み代を支払う姿勢や、有力フランチャイズチェーン(FC)企業との営業権を巡る法廷闘争に寝食を忘れて取り組む姿を見るうちに、やがて若手幹部を中心に両弁護士に対する信頼が醸成された。再建の過程では、今井氏が日頃の激務がたたって過労で大量吐血し、入院する事態も起きた。両氏にとっても、吉野家の再建はまさに体を張った戦いだった。

 2人は吉野家の再建になぜ、そこまで熱を入れることができたのか。「安部君をはじめ若くて優秀な人材が、我々の意見に率直に耳を傾けてくれた。古手の幹部が残っていたら、こうはいかなかっただろう」と、増岡氏は振り返る。

 更生法申請後、古手の幹部が一掃され、経営陣は大幅に若返った。リーダー格の安部社長ですら30歳をやっと過ぎたばかりだった。彼ら若手幹部は年齢が2回り近く離れた増岡弁護士を父親のように慕った。

 「増岡先生から学んだ最大の財産は、周囲に惑わされず、自らの頭でものを考えて判断することだ」と安部社長は言う。これだけでは当たり前のように聞こえるが、実践するのは容易ではない。会社が倒産すると、周囲はいろいろなことを言い始める。「単品商売は限界だ」「ファッショナブルでない店舗が時代遅れになっている」と、マスコミや評論家は連日のように論評した。動揺した社員の中にも「カレーをやりましょう」「店舗のデザインを変えましょう」といった声が相次いだ。

次ページ 「うまい牛丼を作ってみろ」