当連載「温故知新 いま読み直したいあの日経ビジネス」では、日経ビジネスの莫大な過去記事から一編をピックアップ。今回は2002年の吉野家の記事を取り上げる。
企業の危機は突然やってくる。2022年4月、牛丼チェーン吉野家の常務によってセミナー中に発せられたある不適切発言が大きな問題となった。ほんの気の迷いなのか、日ごろの発言の延長線上で起きたことなのかは分からないが、この発言で吉野家が受けたダメージは小さくない。
予定していた新製品発表会は中止に追い込まれ、飲食業界に逆風が吹く中、企業ブランドを損ねる結果を招いたことは言うまでもない。少なくとも数年は、この役員の発言が、企業研修において炎上騒動のケーススタディーとして取り上げられることだろう。さらに、22年5月には採用説明会への参加を申し込んだ大学生に対して、外国籍と判断したことを理由に参加できない旨を伝えていたことが明らかになり問題となっている。

さて、そんな吉野家だが今回と比較にならないほどの危機を迎えたことがある。それは、会社解散が秒読みとなった事件だ。04年、BSE(牛海綿状脳症)問題によって米国産の輸入牛肉がストップし、牛丼の販売休止を余儀なくされたときのことではない。1980年7月に約100億円の負債を抱え会社更生法の適用を申請したことだ。
戦後大きく成長し、チェーン店戦略により急成長した吉野家だったが、慢性的な赤字へと転落する。だが、会社更生法適用後、見事にV字回復に成功した。巨額に膨らんだ負債も7年弱で返済。1杯の牛丼から生まれる小さな利益を積み上げて実現したわけだ。
世代交代が進み、今や吉野家の倒産危機のことを知らない人も少なくないだろう。復活のキーとなったのはなんだったのか。こうした時期だからこそ当時の記事を取り上げ振り返ってみる。
以下の記事は日経ビジネス2002年1月28日号の『特集 企業再建』を再掲載したものです。登場する人物の肩書、企業・組織名、資本・提携関係、表現などは原則として掲載時のものです
吉野家を救った2人の弁護士
もしかしたら、あなたは吉野家の牛丼を食べられなかったかもしれない。そんなことを10代や20代の若者に言っても、ピンとこないだろう。
デフレの雄、吉野家ディー・アンド・シー。最近でこそ狂牛病騒ぎでやや勢いに陰りが見られるが、それでもたった280円で空腹を満たしてくれるその存在は、年齢・性別を超えて、高い支持を集めている。
だが、そんな吉野家は今から20年ほど前、1980年7月に会社更生法の適用を申請し、事実上倒産した。当時、マスコミや評論家はこぞって「牛丼店は時代遅れ」とその存在価値を否定した。今では笑い話にできるが、当時のスポーツ新聞の見出しには「モー、だめだ」「牛の音も出ない」といった見出しが躍ったほどだ。
ところが、そうした周囲の予想に反して、同社は更生法申請から7年で約100億円の負債を完済する。その後、順調に業容を拡大し、2000年11月には東証1部上場を果たした。今年初めには、米ニューヨークに国内外通算1000店目となる「タイムズ・スクエア店」を開店。今年2月には中国・上海に現地法人を設立する予定で、世界展開に向けて新たなステップを踏もうとしている。
実はあまり語られていないが、吉野家を救った2人の人物がいる。更生法申請時に管財人に就いた増岡章三弁護士と管財人代理を務めた今井健夫弁護士だ。当時、生え抜き社員として再建の中枢メンバーだった安部修仁社長は「2人がいなければ、吉野家は存在しなかった」と断言する。なぜ、彼らなしに再建はあり得なかったのか。

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