東京~名古屋間の開業を2027年としていた「リニア中央新幹線」は、静岡で本格着工が遅れている。JR東海の金子慎社長も21年末の記者会見で「開業時期のめどが立っているというわけではない」と発言し、苦しい状況にある。

 とはいえ、最終的に東京〜大阪間を1時間で結ぶリニア新幹線の工事が進んでいるのも事実。そんなリニア新幹線の研究が始まったのは1962年。半世紀以上の歴史があるということをご存じだろうか。現在のリニアモーターカーの車両はシャープで空力を考慮したデザインだが、第1号実験車のML100はポヨンとしたかわいらしい見た目だった。

(写真:PIXTA)
(写真:PIXTA)

 その後、リニアモーターカーの開発、実験が進み、1979年には無人走行で世界最高速度517kmを達成している。当時、リニア新幹線について、どのような報道がなされていたのか。当時の資料をひもといていくと1984年に日経ビジネスに掲載された興味深い記事を見つけることができた。

 1984年はその後の世界標準となるIBM PC/ATパソコンが登場した年だ。また、グリコ・森永事件が起き、第二電電(現在のKDDI)が設立されている。リニア新幹線に対する批判的なコラムは、古めかしさを感じる内容である。だが、技術進歩だけを追いかけることの是非を考えさせる内容になっている。

 リニアモーターカーは先端技術として価値あるものだが、それを「人間運搬機」と揶揄(やゆ)する点は非常にユニークだ。この約40年前の視点は、AI(人工知能)全盛の現代に対する警鐘とも取れないだろうか。

 日本経済新聞科学技術部特別取材班が執筆した日経ビジネス1984年2月20日号の記事から紹介する。

※本記事は日経ビジネス1984年2月20日号に掲載された記事「技術革新の虚と実 あまり速過ぎると“人間運搬機”になる!」を再編集したもので、登場する人物の肩書、企業・組織名、資本・提携関係などは原則として取材当時のものとしています。

「技術革新の虚と実」あまり速すぎると“人間運搬機”になる!

 今から4、5年前、欧州のある国の科学者と話した時のことだ。話題が何とはなしに、国鉄が開発を進めているリニアモーターカー(磁気浮上列車)になった。「時速500キロメートルで地上を走るなんて、いや、実にすばらしい技術だ」。欧州人独特の皮肉が聞かれるかと思いきや、手ばなしのほめよう。当方、すっかり気をよくして…。しかし、くだんの科学者、最後にこう言った。「ところで、その列車の座席にはシートベルトをつけるのですか?」

リニアモーターカーの“非人間性”

 インタビューをした当時は、この言葉の意味をそれほど真剣に考えなかった。が、あとでよく考えてみると、なかなか痛烈な皮肉がこめられていることに気がついた。時速500キロといえばもう飛行機だ、シートベルトをするとなるとなおさら。そんなものを地上に走らせるなんて…。第一乗っている人間がたまらんだろう。飛行機並みのスピードで走って外を見たら、きっと目を回すだろう。そうならないように、窓を全部無くしてしまったらいいのだろうが、そうなると交通機関ではなく、単なる人間運搬機になってしまう。技術はすばらしいが、われわれはそんなものはごめんだね--こんな意味がシートベルト云々の質問に隠されていたのだ。

 「技術の進歩は、そのまま人類の幸福につながる」。これは技術革新を支えてきた大きな柱だ。が、最近ではこれだけではいけない、という考えも出ている。つまり、技術の適正化を図ることが大切ではないかというのだ。

 技術の適正化というと、発展途上国への技術協力の際によく用いられる。科学技術の未熟なところに、いきなりハイテクノロジーを持ち込むのは無理がある。まず“実力”に合った技術から、という意味だが、ハイテクが氾濫するわが国でも、実は技術の適正化が必要なのだ。それも、人間との適合をはかることが。

 人間の能力には限界がある。リニアモーターカーは、人間の感覚をはるかに超えるスピードで走る。人間がこれに適応するのは、容易なことではない。人間の感覚・能力に合うよう、何らかの適正化の手だてが講じられなければ、ならない。これを怠れば、技術はすんなりと社会にとけ込めなくなるだろう。

 ME(マイクロ・エレクトロニクス)技術の発達により、高性能のコンピューターがわれわれの身辺に進出してきている。パーソナルコンピューターも、ビジネスマンの三種の神器のひとつになりつつある。が、はたしてこれらは技術の適正化=人間化が図られているだろうか。増加しつつあるOA機器シンドローム(症候群)は、機能が向上した機械に、能力的・感覚的についてゆけなくなる時代の警鐘かもしれない。

パソコンやCDだって持て余すし…

 また、特別のプログラミング言語を学ばなければ操ることができないパーソナルコンピューターも例外ではない。コンピューターが、ごく一部の専門家の専用物であった時代ならいざしらず、“パーソナル”と名を打つ限りは、もっと誰もが扱えるようにする手だてがあって良いはずだ。技術は進歩する。そして、無邪気(?)な技術者は、自らの成果をどんどん社会に送り出す。しかし、適正化がはかられないと、その技術は結果的にしぼんでしまう。技術が人間と接する時は、摩擦を生じないための大きな“戦略”が必要だ。

 ME技術の成果の一つとして、CD(コンパクト・ディスク)がある。21世紀の音----というキャッチフレーズだ。聞いてみると、確かに音はいい。演奏者がピアノのペダルを踏む音まで聞こえる。しかし、売れ行きはいまひとつ。「ソフトが少ないから…」とメーカーは言う。しかしCDをみると、今から10年前に出た4チャンネルステレオを思い出す。当時としてはあまりに“きれいな音”は、「不自然だ」として音楽ファンから総スカンを食った。人間との適合を怠った技術は育たないのだ。(日本経済新聞科学技術部特別班)

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