管理職を一気に3分の1に削減
大西と話をしていると気づくことがある。柔和なもの言いに包んではいるが、容易に話を合わせず、自説を展開する。
取材の中で長期政権について触れたときも「長くやったかどうかではなく、先輩同僚に恵まれてやってこられたことを良かったと感謝している」と返してくる。「ワンマンになっていないか」と押せば、「役員会では侃々諤々議論をしている。私はいつも影響を受けている。今も若い人の意見に感動することが多い」とはぐらかす。劫を経て一段と強くなったかもしれないが、OBらによればこのしぶとさは昔からのものだ。
話を元に戻すと、富士写が急速に高収益企業となっていく過程でも大西は、そのしぶとさを発揮している。富士写は銀価格の高騰によって80年春フィルムの価格を値上げした。ところが、同時に高収益体質に転換している(2ページのグラフ参照)。
しぶとさの一端がこのあたりに表れている。危機を逆手に利益体質を作り上げたのである。「日々リストラ」と社内で呼ぶ徹底した効率化はそこで大きな効果を表した。
スリム化の動きは、本社では特に強烈だ。85年に早くも本社から課をなくし、96年1月には課長代理から部長クラスまでの管理職を一気に3分の1に減らした。この効果は絶大なものがあった。
売上高は98年3月期までに倍増しているが、部課の数は344から186(97年9月現在)へ。役員もその数をほとんど増やさず、しかも多くを部長兼務役員としているから、組織階層をみると、一般社員の上司の上司はもう社長というほどスリムな体制になっている。
大西が狙うのはひたすら「環境の変化に対し、機敏に意思決定、行動できる体質であり、グローバル競争に勝てる組織」だという。スリムでフラットになれば、大抵の変化に素早く対応できるというわけだろう。
もちろん、社員の間からは不満の声は漏れる。だが、大西には「結局、論破されてしまう」(あるOB)と言う。変化を見据えた動きとなれば、大西は時代の側に立っているのだから、容易にはかなうまい。
大西の信条は、室町時代初期の能楽師、世阿弥元清が能の奥義を著した書、『風姿花伝』に遺した言葉、「生涯稽古」だと言う。
富士写の原点にあった強烈な生存欲求という社風の中に育った大西はその後、自ら次の時代の社風を作り上げた。「わき目もふらぬ努力」である。
=文中敬称略
(文=田村 賢司)
(本記事は日経ビジネスの1998年5月4日号の記事を再編集したもので、登場する人物の肩書、企業・組織名、資本・提携関係、表現などは原則として取材当時のものとしています。)
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