「(ライバル)コダックの背中見えた」

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 富士写は、カラーフィルム市場で国内の70%、世界でもコダックに次ぐ35%のシェア(モルガン・スタンレー証券推計)を占めるフィルム業界の巨大企業。しかも、97年3月期まで決算期変更の1期を除いて12年連続して経常利益1000億円以上、98年3月期も売上高8470億円、経常利益1270億円を見込む超高収益企業である。

 あまり知られていないが、経常利益が10年以上1000億円を超えている事業会社は、富士写とトヨタ自動車だけ。富士写は、国内最大の製造業と肩を並べるエクセレントカンパニーなのだ。

 大西は80年5月、54歳の若さで社長に就任して以後、実に16年間にわたって務め、この高収益体質を作り上げてきた(上記グラフ参照)。この間、売上高を倍増、経常利益は3~4倍増させているのである。

 96年6月に会長となったが、同社周辺のみならず、社内からは実質的に今も経営トップであるといわれる。確かに実績をみる限り大西は、まぎれもない同社中興の祖である。サラリーマン経営者の身で20年近くもトップに君臨することなど、最近ではめったにない。実績が大西をトップとして安定たらしめ、その安定基盤が次の好業績を生むもとになっていった。おそらくそんな循環があったのだろう。

 それにしても、これだけのエクセレントカンパニーを築いた大西の実像はあまりよく知られていない。実のところ、どんな力を持った人物なのか、という肝心なところが。いささか判じ物めくが、大西とは目立たないことを旨とし、人目につかないうちにさまざまな手を打ち続けることで、目を見張る実績を残した希有な経営者ではあるまいか。

 富士写は米国サウスカロライナ州の工場で95年から96年にかけて、印画紙とカラーフィルムの中間・最終加工を行う現地生産を開始。その後、昨年末までに、共に原材料から製品まで一貫生産する体制を整えた。これで価格や商品配送の競争力が付き、米国での富士写製品のシェアは急速に伸びている。

 カラーフィルムだけでみても、96年の10%から15%になったといわれ、逆にコダックは75%から70%へ低落したとみられている。一見、コダックがまだ大きくリードしているように思えるが、世界第2の市場である日本では、富士写の70%に対し、コダックは10%。世界最大の米国市場でシェアを伸ばすということは、96年の世界シェアで5ポイント先行していたコダックにもうじき肩を並べるところまで来たということになる。

 しかし、大西はついぞそんなことを口にしない。「コダックは世界の写真市場の巨人。肩を並べるなんてとても。背中がようやく見えたというところでしょう」

 兵庫県三原町(淡路島)の裕福な農家に育ち、若いころから「まず大言壮語をしない」(旧制山口高校時代の同級生で、東電工業相談役の小川泰一)癖のせいもあろう。

 だが、大西のもの言いには、単なる謙虚さとは違うものが隠れている。大西の中には、常に心配性過ぎるほどの慎重さと、せっかちすぎるほど早手回しなところが不思議に同居している。

 大西は目立たないことを旨として成功した、と書いた。そこには、この2つの不思議に併存する性格が関係している。例えば海外市場の開拓。今や連結売上高(97年度1兆3800億円)の50%を占めるまでになったそれを、大西は極めて憶病に、そしてせっかちに進めている。

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