『日経ビジネス』1月24日号に掲載された「『中興の祖』ランキング」。写真フィルム市場の規模縮小による難しい事業転換のかじ取りを成功させた人物として富士フイルムホールディングス、古森重隆最高顧問が挙げられている。同社を語る上では古森氏と共に、前身の富士写真フイルムを大企業へ成長させた大西實氏についても併せておさらい頂きたい。

 日本における写真フィルムの国産工業化計画に基づき誕生した富士フイルム。だが、その道のりは平たんではなかった。戦前の創業当初にも苦境に立たされ、戦後はフィルム産業保護の時代から自由化への流れの中、厳しい経営環境にさらされてきた。大西氏も社長就任後、一般用カラーフィルム輸入関税の大幅引き下げや、フィルムの感光剤の主原料である銀の価格高騰、巨人・米イーストマン・コダックとの日米フィルム紛争など幾度も危機に直面している。それらを乗り越えたからこそ、今の富士フイルムホールディングスが存在するといっても過言ではないはずだ。

 それらと並行して、生き残りをかけて大西氏は大胆かつ細心に海外進出を進めていった。入社直後から海外畑で活躍したことや入社後に経験した厳しい経営環境の中から選択した経営戦略だ。その結果、高収益企業が誕生した。その足跡を1998年5月4日号の日経ビジネス本誌特集から紹介する。

大西 實(おおにし・みのる)氏
1925年10月28日、兵庫県南あわじ市(掲載時三原町)生まれ。48年東京大学経済学部卒業後、富士写真フイルム入社。72年取締役、常務、専務を経て80年5月、54歳の若さで社長就任。若いころから海外、国内営業部門など中枢を歩み続けてきた。
以下の記事は日経ビジネス1998年5月4日号の記事『フォーカスひと 12年連続経常利益1000億円以上の超高収益体質を作った 大西實氏』を再掲載したものです。登場する人物の肩書、企業・組織名、資本・提携関係、表現などは原則として掲載時のものです

慎重さの裏に強烈な大胆さが潜む 巨人コダックへの恐怖心を昇華

 10年以上にわたり、1000億円を超える超高収益体質を作り上げてきた。憶病なほどの慎重さとせっかちさが奇妙に併存する人物像。激戦のフィルム市場を着実な世界戦略と強烈な効率化で乗り切った。原点には存続への強烈な飢餓感を持ったかつての社風がある。「生涯稽古」を信条に、しぶとく「世界で勝てる企業」体質を作った。

 富士写真フイルム会長、大西實の表情は、その日も普段とさして変わらぬものだった。柔和で落ち着き、物腰の低い雰囲気...。昨年12月6日早朝、大西にもたらされた知らせは、十分、大西を興奮させるに足るものだったはずなのだが。

 大西のもとに届いたのは、富士写のライバル、米イーストマン・コダックが1995年5月、「日本のフィルム市場は閉鎖的」として米通商代表部(USTR)に提訴、以後、世界貿易機関(WTO)に場を移して争ってきた日米フィルム紛争に、「勝利」したというものだった。

 WTOに持ち込まれて以後は、日本の写真市場に参入障壁があるかどうかを巡る日米両政府間の争いとなっていたが、実質はコダックの富士写への挑戦。それに「勝利」したというのに、大西は喜びをあらわにすることもなく、社内向けの報告会を開くことさえなかった。

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