日本の顔とも呼べるホテルといえば、やはり帝国ホテルだろう。その東京新本館が2036年にリニューアルされることが発表された。コロナの影響は大きく、21年3月期の連結最終損益は143億円の赤字(前の期は24億円の黒字)となった。※建て替えの関連費用として計上した特別損失(20億円)を含む

 足元のインバウンド需要の復活やGoToキャンペーンの再開時期がわからない今、あえてリスクを取ってリニューアルをする。人によっては無謀とも感じられる挑戦だが、第二創業のような覚悟を感じとることができる。

「田根剛氏による帝国ホテル 東京 新本館イメージパース」<br />※検討段階のものであり今後行政協議等により変更となる可能性があります
「田根剛氏による帝国ホテル 東京 新本館イメージパース」
※検討段階のものであり今後行政協議等により変更となる可能性があります

 帝国ホテルの歴史を振り返ると、バブル崩壊後の景気情勢が不安な1992年のタイミングにも日比谷の地に固執せず、帝国ホテル大阪やコミュニティーホテルへの進出など現状維持から挑戦へのかじ取りを行っていた。列車食堂からの撤退を決断する一方で、ホテルビジネスの将来設計を描く。歴史やブランドにあぐらをかかず、不況と先行き不透明の中でも、しっかり投資を続ける帝国ホテルの姿勢が、トップホテルとしての確固たる地位を築いた。コロナ後の再投資タイミングを読む経営者にこそ、この記事は力となるはずだ。

 瀬尾傑記者(当時)が取材・執筆した日経ビジネス1992年4月20日号の記事から紹介する。

(本記事は日経ビジネス1992年4月20日号の記事『“一店”豪華主義を捨て 2ブランドで多店舗展開』を再編集したもので、登場する人物の肩書、企業・組織名、資本・提携関係などは原則として取材当時のものとしています)

“一店”豪華主義を捨て 2ブランドで多店舗展開

 東京・日比谷に閉じこもってきた帝国ホテルが、第2ブランドを使ったコミュニティーホテルの展開に乗り出した。成功のカギは名門ホテルマンの意識を変えることができるかにかかっている。

 1990年に開業100年を迎えた帝国ホテル。同社初の第2ブランドでのホテルチェーン展開が、この3月31日、千葉県津田沼市でひっそりとスタートした。同日午前0時、地元資本が運営していた「津田沼グランドホテル」を、帝国ホテルが100%出資した子会社、インペリアルエンタープライズが引き継ぎ、ホテル名も「ザ・クレストホテル津田沼」に改めた。

 客室数は85室、宿泊料金は1泊9800円からと、こぢんまりしたホテルということもあり、開業セレモニーはもちろん、派手なPR活動も行わなかった。「当日の朝、チェックアウトする時、ホテルの名前が変わっていることに気づいた宿泊客は、たった3組だけだった」と、インペリアルエンタープライズの吉田誠治代表取締役は笑う。しかし、帝国ホテルにとって、東京・日比谷の「本丸」で守ってきた高級路線と1拠点主義を打ち破る、大きな第一歩となった。

 「やわらか頭で取り組んでほしい」――津田沼開業から2日後の4月2日、犬丸一郎・帝国ホテル社長は、ホテル内の宴会場「富士の間」で、集まった社員800人を前に、テレビCMの文句を借りて、意識改革を訴えた。多店舗化に乗り出すことを表明するとともに、伝統と格式にしがみつかず、柔軟な発想で新しい仕事にチャレンジしようとハッパをかけた。

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