(写真:PIXTA)
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 私が住む都内の今年のお正月は、厳しい寒さの一方で、雨の降らない「好天」が続いたこともあってか、初詣客でにぎわう神社仏閣、福袋を求めて百貨店や商店街にできる人の行列など、随所で久しぶりの光景を目にすることができた。男女2人連れの姿も多かったが、中でも若い世代にとってこの2年間は、私から上の世代の者と比べて桁違いの我慢を強いられてきたことだろう。彼らのマスクの下の笑顔を想像しながら、次の感染拡大の波が来る前に「食べたり買い物したり遊んだり」といった「今のうち消費」を器用に楽しむ若者たちのことが、頼もしくもありうれしくも感じた。

 仕事柄か、私は「人出」で今の景気を推し量る癖がついている。国内景気にも見なされることの多いGDP(国内総生産)の半分以上を「個人の消費活動」が占めるこの日本。目の前の人出が、モノやサービスの実際の購入にどれほどつながっているのか定かではないが、論理的に間違ってはいないはずだ。増えてはいるがコロナ禍前ほどではないと感じたお正月の人出は、幾つかの調査結果をまとめると「コロナ禍前の7割程度、前年(2021年)比で2~3割増の人出」とのことだった。自身の「感覚」もまんざらではないと思うと同時に、まさに先人の「感覚や経験」が凝縮された「相場の格言」に思いをはせてみた。

 コメ相場の時代から語り継がれ、現代では株式市場の格言として使われることの多い、十二の干支(えと)を用いた相場の格言。寅(とら)年の2022年は「寅、千里を走る」。活力みなぎる寅は、千里もの距離を走った後、また同じ距離を戻って来ることができるというもの。千里は「約3930キロメートル」。北海道から沖縄までの直線距離が「約2500キロメートル」。つまり千里の往復は、日本列島を一往復してさらにおよそ半分進んだ距離に相当する。これを株式市場の動きに当てはめると「上にも下にも大きく動く」ということ。今年の株式市場が「波乱含み」であることを意味する。たかが格言と安心したいところだが、されど格言の方に私の気持ちが傾くのは、今年から米国をはじめ世界的に「金利」が上昇に向かう気配を見せているからだろう。

 2021年末に開かれた米連邦準備理事会(FRB)が金融政策を決める会合「連邦公開市場委員会FOMC(FOMC)」。ここでは、景気の下支えを行うために続けてきた世の中への大量の資金供給を徐々に減らす、いわゆるテーパリングを終えることを明言。時期は春先で、そこから先は金利上昇に向けて大きくかじを切ることを意味する。最大の目的はインフレ抑制。コロナ禍による景気へのマイナスの影響を抑えるため、世の中に大量供給されてきた資金は、停滞する経済活動を避けて、原油の先物市場などに流れ込み、あらゆるモノやサービスの価格を押し上げてしまった。春先以降に転換する金融政策の最大の目的は、値上がりしたモノやサービスの価格に、金利水準を追随させること。イレギュラーな金融政策のようにも聞こえるが、これまでがイレギュラーなのであって、ここから先が「正常化」であり本来の姿だ。何とも皮肉な結果だが、インフレとデフレ、金利の上げ下げの関係は歴史的にも多くの場合がこの流れだ。

 そうなると気になるのが、過去の寅年における日本の株式市場のパフォーマンス。1年を通してプラスのリターンの年を「勝ち」、マイナスの年を「負け」とした場合、戦後から数えた寅年の戦績は「1勝5敗」。残念ながら、十二の干支の中では最低の勝率だ。活力みなぎる寅がなぜ負けるのかと思ってはいけない。その活力が株式市場(相場)を上にも下にも大きく動かしてしまうのだ。近年の寅年には「2010年、リーマン・ショックから2年後の停滞期」や「金融機関が経営危機に陥った1998年」などがあった。あれからもう12年、24年なのかと懐かしくもあるが、何とも言えず忘れることのできない実に不安定な時代だった。「金利」の反転から上昇に向かいそうな2022年は、過去の寅年と同様、波乱要因が潜んでいてもおかしくはない。