農園を襲った死の病
その傍らで、一生産者としてのポールさんとの付き合いは09年に始まった。彼の所有するサン・ヘラルド農園は、首都のグアテマラシティから車で1時間ほど南へ下ったアマティトラン(冒頭で触れたアティトランとは別地域)にある。カルデラ湖のアマティトラン湖畔に家が立ち並ぶ別荘地のような趣の街で、コーヒーの栽培エリアはその周囲の山沿いに広がっている。


このエリアもまた、グアテマラの優良なコーヒー産地の一つ。だが、現在ではメキシコ国境に面した西部のウエウエテナンゴなどの地区の方が質・量ともに優勢な状況にある。
端的に言って両者の違いは標高にある。スペシャルティコーヒーの肝である酸の質は標高の高さに依存するが、ウエウエテナンゴの栽培エリアが2000メートルに達するのに対してアマティトランは最高で1800メートルほど。ポールさんのサン・ヘラルド農園に至っては1400メートルと、さらに分が悪い。
この容赦ない標高による格差は、近年の温暖化がもたらしたものだ。00年代の半ばくらいまではサン・ヘラルド農園もCOE入賞クラスの豆を生産していたが、温暖化により勢力図が塗り替えられ、酸の評価の高い豆を生産する農園の標高は軒並み以前よりも高くなってしまったのである。
温暖化の影響は、ほかにも深刻な問題を引き起こしている。さび病だ。
さび病は「コーヒーさび病菌」によって発生するコーヒーの感染症。菌が付着した葉には赤さびのような斑点が現れ、やがてその木は光合成の機能を失って枯れてしまう。

これまで気温が高い低標高のエリアでまん延することが多かったさび病だが、12年に中米全域を巻き込んださび病のパンデミック(世界的大流行)では事態が違った。温暖化に加えて同年の湿潤な気候が災いし、実に1800メートル級の高標高エリアにまでその被害が及んだのである。
さらに悪いことに、サン・ヘラルド農園の場合は栽培品種がさび病の被害に追い打ちをかけてしまった。
今でこそ病気に強い品種の栽培にも取り掛かり、さび病への対策を模索しているサン・ヘラルド農園であるが、当時栽培していたのはほぼ100%がブルボンという品種であった。
ブルボンはグアテマラでは古くから愛されてきた伝統的な品種。ポールさんはその品質を誇りにブルボンを栽培していたのだが、アラビカ種の原種に近いブルボンは繊細で病害への耐性が低く、さび病の被害をもろに受けてしまったのだ。
一般にコーヒーの品質と耐病性や生産性はトレードオフの関係にある。品質を重視するポールさんが耐病性を犠牲にしてブルボンにこだわったのには一理あるが、世を俯瞰(ふかん)すればそれが容易な選択ではないことは明らかだ。
気候変動や病害がもたらす影響により、近い将来にコーヒー野生種の約6割が絶滅の危機にひんするという調査報告もなされている。現状維持では成り立たないフェーズが、すぐそこまで迫っているのだ。
スペシャルティコーヒーの産地としては標高が相対的に低いサン・ヘラルド農園は、その問題の矢面に立たされているようなもの。しかし誰よりもコーヒーに対して真摯で、行動力のある彼のことだ。この困難に屈するつもりなどさらさらないだろう。
生産者の個性が生み出す「おいしいグアテマラ」
コーヒーのおいしさは栽培や収穫方法、生産処理といった一連のプロセスにも当然ながら左右される。各プロセスでどのように生産者が介在するかというのは言い換えれば無限の選択肢の連続であり、料理と一緒で仮に同じ手法を用いたとしても手掛ける生産者によってその結果は異なるものになる。
その意味で産地や品種のみならず、生産者の個性もまた豆のキャラクターを決定する大切な要素となる。サン・ヘラルド農園においてそれはポールさんになるわけだが、輸出業で彼が見せていた生真面目な物事への向き合い方は、ここサン・ヘラルド農園においても健在である。

例えば手摘みの収穫の精度。必ず完熟したチェリーだけを摘むようにとポールさんから厳命されているのだろう、ピッカーは一粒一粒を確かめるように慎重にチェリーを摘んでいく。あるいは生産処理の徹底さもまたしかり。ウォッシュトにせよアナエロビック(嫌気性発酵)にせよ、こちらから見ると神経質に思えるほどに豆を洗ってクリーンに仕上げる。



そうした努力の甲斐があってか、彼のつくるコーヒーは不思議とおいしさに伸びしろがある。現地でカップしたときよりも少し時間をおいて日本で味わった方が評価が上がるのだ。
前述したようにポールさんの豆はスペシャルティコーヒーの基準に照らせば決して豊かな酸があるタイプではないが、丸山珈琲では人気商品の一つだ。エキゾチックなコーヒーではないけども、深煎りにするとチョコレートっぽい、すっきりとした甘みがあって飲みやすい。みんながイメージする「おいしいグアテマラ」が、彼のコーヒーにはある。
この記事が公開されて間もなく、収穫時期に合わせて私は久々にグアテマラを訪問する予定だ。もちろんポールさんは「ケンタロウ、いつ来るんだ?」と手ぐすね引いて待っている。今度はどんなジョークが飛び出すだろう? 彼とのドライブが今から楽しみだ。
取材・文/永島岳志
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