農園を襲う危機
農園が大量生産から品質重視にシフトしたのには、外的な要因も存在する。
読者の皆さんはコーヒー危機と呼ばれる時期があったのをご存じだろうか? 97年に高値を付けていたコーヒー豆の相場が、2005年頃まで大幅に下落したのだ。
コーヒー豆の相場は、生産地で大きくまとめた豆をいくらで取引するかという価格の指標だ。この価格は、ニューヨークコーヒーマーケットとして取引所で決められ、それを軸にコーヒー豆が取引される。生産者の収入に直結する指標だ。
だが、そのコーヒー価格の相場が大幅に落ち込むことで、生産者側の豆の販売価格が生産コストを下回る事態に陥った。97年から2005年にかけてコーヒー相場はずっと低水準で推移した。
この時期の生産者は、「コーヒーは作れば作るほど損する」と泣いていた。別の作物へ転作する農家や、耕作を諦めて農地を放置・放棄する人も多かった。中には農園を売却してしまう農家もあった。生産者側がどんなに良い物をつくっても、相場の乱高下で不利益を被ってしまうというのは、悲しい現実としてある。このコーヒー危機の時期、事態は非常に深刻だった。
そうした状況の救世主となったのが、スペシャルティコーヒー(高品質コーヒー)の台頭だ。コーヒー相場は、先物市場で決まってしまう。しかし、高品質で消費国側の求めている豆を作ることができれば、高い価格で買う新たな販路が誕生した。相場の乱高下に一喜一憂せず、ニーズに応じた利益を得ることができる。だから、スペシャルティコーヒーに切り替えよう! という流れが一部の農園で生まれたのだ。
また、農園側の心理として金銭面だけでなく「自分たちの作った豆を認めてもらいたい」という気持ちもあった。そんなユニークな動きと同じく、新たなコーヒーアイデンティティーを作りたい次世代コーヒー店やそのバイヤーが、奮闘する農園を支援する動きも出始めた。
彼らは産地の奥深くまで入り込み、生産者や組合と関係性を果敢に作っていった人たちなのだ。私を含め、新たな価値観を持ったバイヤーが世界中を飛び回り、宝探しのような気持ちで無名な国や農園にも足を運んでいた。そんな人々が2010年代まで熱にとりつかれたように、農園と切磋琢磨(せっさたくま)し良いコーヒー豆を作っていった。それが、今にいたるまでの美味しい珈琲史を紡いできたと言える。
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