家族会議に託されたロス・ノガレス農園の運命

 1960年代初頭から政府とコロンビア革命軍(FARC)との間で長く内戦下にあったコロンビア国内の治安ははっきり言って悪い。ある年のCOEの開催地の選定に当たって「その都市での開催は安全か否か」が争点になったというエピソードは、この国の状況をよく表している。2016年に和平交渉の最終合意が成立し、かつてほどの危険性は鳴りを潜めたものの、いまなお日本の安全の感覚とは大きくかけ離れているのが現実だ。

 リカウルテさんの惨劇もまた、残念ながら当時のコロンビアでは決して珍しいものではなかった。銀行口座を開設していないピッカー(コーヒーチェリーの摘み手)は多く、現金を手渡しする支払日を狙った強盗が横行していたのだ。リカウルテさんもまた同様に現金を狙われ、抵抗をしたために銃で撃たれてしまったという。

 一家の主を失った悲しみが癒える間もなく、妻と子どもたちは残された農園について考えねばならなかった。一時は売却にまで話が及んだ家族会議は、最終的に海軍に従事していた息子のオスカーさんが跡を継ぎ、25歳の若さで農園主となる道を選ぶことでようやく決着を見たのであった。

 軍服を脱ぎ、海から生まれ故郷の山へと戻ってきたオスカーさんは、1年ほどFNCで学び、コーヒー栽培に関する知識をきっちりと身に付けて農園を引き継いだ。彼は、自身のなすべきことをよく理解していた。父親のリカウルテさんが手がけてきた生育環境の優位性による伝統的な栽培スタイルを発展させ、より時代に即した農園へのアップデートを図ったのだ。

 特に彼が注力しているのが、目下世界のトレンドになっている発酵テクノロジーだ。この分野でキーとなるのが彼の妹であるアンジーさん。彼女は食品会社に勤める傍ら、その知見を惜しみなくロス・ノガレス農園に投入している。気候や土壌条件、収穫後のコーヒーチェリーの管理方法などにより複雑に作用する微生物の働きやイーストなどの酵母が与える影響を分析し、最適な発酵プロセスを導き出そうと日々研究を重ねている。

ロス・ノガレス農園主のオスカー・フェルナンド・エルナンデスさん
ロス・ノガレス農園主のオスカー・フェルナンド・エルナンデスさん

 父親譲りの真面目さに、変革を恐れない心の強さ。彼ほど適任な後継者はいなかったかもしれない。そう思わせるほどオスカーさんの率いるロス・ノガレス農園は新たな魅力であふれている。

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