12年ぶりの再訪で目にした衰退の危機

 私がドミニカ共和国を初めて訪問したのは2004年。当時はスペシャルティコーヒーの黎明(れいめい)期で、「スペシャルティコーヒー? いやいや、うちの豆が一番だろう?」とドミニカコーヒーを過信する反応が大半だった。

 ところが最高グレードの豆をカッピングさせてもらうと、スペシャルティコーヒーの評価基準で最高のものでも84、85点といったレベル。品質はそこそこだが、その割には高値で微妙だなという感想が正直なところだった。ひとまずダイレクトトレードを始めてはみたものの、当初抱いた品質と価格のズレはついに埋まらず、数年で取り扱いを停止。残念ながらそれからしばらくはドミニカコーヒーとは疎遠な状態が続くことになってしまった。

 途切れた縁が再びつながったのは、16年のこと。04年の初訪問時に顔見知りになった日本人女性がドミニカ共和国でコーヒーの輸出業を営んでおり、「ぜひまた現地に足を運んでほしい」という彼女の呼びかけに応えることにしたのだ。ラス・メルセデス・デ・ドン・アルフレド農園を営むアルフレド・ディアスさんとのお付き合いも、彼女の紹介がきっかけで始まったものだ。

アルフレド・ディアスさん
アルフレド・ディアスさん
ラス・メルセデス・デ・ドン・アルフレド農園の風景
ラス・メルセデス・デ・ドン・アルフレド農園の風景

 しかしこの12年ぶりの再訪で、私は強い危機感を覚えることとなる。そこにあったのは、以前と何ら代わり映えのないコーヒー。スペシャルティコーヒーの躍進によって日進月歩の進化を遂げている世界と比すれば、それは衰退を意味する状況であったのだ。

 中米のエルサルバドルやコスタリカでは、05年から06年にはハニープロセスと呼ばれる新たなタイプの生産処理が広まっていたが、16年当時のドミニカ共和国のコーヒー生産現場で見られるのはウォッシュト、いわゆる伝統的な水洗式の生産処理がほとんど。アルフレドさんは珍しく良質なナチュラル(乾式)の生産処理も手掛けていたことから一目置くに至ったが、その彼でさえそうした他国の状況については無頓着、いや言葉を選ばなければほとんど無知といえるようなありさまだった。

 この10年にも及ぶ他国との情報や技術の格差がなぜ生じてしまったのか? 不思議に思い関係者に尋ねると、「島国だから、情報鎖国になっているのです」と。「そういうものなのか?」と驚くしかなかったが、大筋としては豆が相変わらず高く売れていたことで井の中の蛙(かわず)になり、ドミニカ共和国のコーヒー産業全体に危機感が欠けていたというのが実情なのだろう。

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