焼肉店出店のために修業

 毎月29日は肉の日。夜のピークタイムが一段落ついたところで、ひときわ体格のいいスタッフが満席の各テーブルに笑顔を振りまきながら回っている。あちこちから「親方」「親方」の掛け声が。店名の「親方」とは、彼のことなのだ。

 初来店の筆者にも人懐っこくあいさつする親方に、今からシャトーブリアンを焼くところだと伝えたら、「オンザライスがうまい」とアドバイスした後、自らライスを持参してくれた。愛称の「親方」からも分かるように、相撲取りの親方のような大きな体格の彼こそが、「肉匠 親方」を運営し、群馬県に本社を構えるグローバルファクトリーで専務取締役を務める萩原聡志氏(以下、萩原氏)だ。萩原氏に、コロナ禍での葛藤や東京出店までの苦労などを聞いた。

萩原聡志(はぎわらさとし)氏。幼少期から食べることが好きで料理に関心を持ち、料理人を志す。大食漢で今では身長176センチと100キロという大きな身体に。18歳から飲食業に携わり、98年に群馬県の飲食グループ グローバルファクトリーへ入社。同年から出店した「ドラゴンカフェ」が大ブレイクする。繁盛店に育て上げた後に現在、「肉匠 親方 赤坂店」総責任者として忙しい日々を過ごす
萩原聡志(はぎわらさとし)氏。幼少期から食べることが好きで料理に関心を持ち、料理人を志す。大食漢で今では身長176センチと100キロという大きな身体に。18歳から飲食業に携わり、98年に群馬県の飲食グループ グローバルファクトリーへ入社。同年から出店した「ドラゴンカフェ」が大ブレイクする。繁盛店に育て上げた後に現在、「肉匠 親方 赤坂店」総責任者として忙しい日々を過ごす

コロナ禍前の2017年12月に、人気のあった「ドラゴンカフェ」前橋店を焼肉ホルモン店に業態変更した。何か狙いはあったのか。

萩原氏:ドラゴンカフェは、接客で盛り上がるタイプの多国籍居酒屋で、お酒などビバレッジの売り上げ比率も高かった。しかし、最近若者たちのお酒離れが顕著だったので、専門店に特化しようと、まず大衆焼肉店を1店舗出そうと動いていた。

なるほど。先見の明がある。焼肉店出店のために修業もしたとも聞いた。どのようなことをしたのか。

萩原氏:焼肉店を出すなら、まず自分自身も勉強しないといけないと思った。そこで、約1カ月かけて東京をはじめ、大阪、仙台、福岡などに行き、うまくて評判の大衆焼肉店を片っ端から食べ歩いた。

 また、焼肉のノウハウを習得するため、3カ月間ほど卸の肉屋で修業し、さらに友人が経営する焼肉店で、見習いとして1カ月間ほど働いた。もちろんどちらも無償だ。さらに1万人受けて2000人ほどしか合格しない、合格率約20%の「肉検定」1級を取得した。それだけでなく、「だしソムリエ」1級も取得した。

準備万全だ。それをトライしようとした親方も素晴らしいが、それを容認してくれた社長も理解がある。コロナ禍前に実施できたのも運が強い。

萩原氏:その通りだ。コロナ禍だったら、それらの準備は絶対にできなかっただろう。17年に修業や勉強ができて、12月に「親方ホルモン」(現、「肉匠 親方 本店」)をオープンできたのが、弊社にとって大きなターニングポイントになった。

 20年3月、緊急事態宣言が4月1日に発出されることが発表され、すぐにドラゴンカフェ高崎店を閉店させた。前橋本店の厨房(1階)が大きかったので、「親方焼肉弁当」のセントラルキッチンとして稼働させることにした。

 始めはテークアウトやデリバリーも厳しかったが、店が通常営業できなかったため、弁当作りに注力した。今まで夕方から深夜まで働いていた社員やスタッフが、朝3時に起きてお昼頃まで弁当作りをした。最終的には、群馬県にあるスーパー約80店舗に弁当を卸せるまで事業が拡大した。

焼肉店の業態変更がなければ、焼肉弁当にもつながらなかった。焼肉弁当は、1日何個くらい販売ができたのか。

萩原氏:多い日は1日500個を販売することができた。しかし、さらに拡売するためには、群馬県で人気のある「上州御用鳥めし弁当」の価格帯に寄せる必要があるため、それに近い価格の800円まで抑えた。利幅が少ない上に、納入するスーパーへの手数料もあり、売れ残った廃棄処分や手間まで考えると、利益はほとんどなかった。ただしお弁当事業という新しいマーケットは開拓でき、現在は会議弁当を受注生産で受け付け、月間300万円を売り上げるまで成長した。

赤坂にある一等地の物件と出合う

トライアンドエラーの精神でつくり上げた結果だ。大変なコロナ禍を乗り越えてきたわけだが、東京への出店はどのように決まったのか。

萩原氏:飲食に関わる人間として、いつかは東京に出店したい夢はずっとあった。しかし、緊急事態宣言やまん延防止等重点措置が繰り返し発令され、その度に戻りかけていた客足が何度も減少した。地元経済もかなり疲弊していた。

 今後、飲食グループとして生き残るために、「弁当事業にさらに力を入れ、食パンなど新規事業に参入し、地元に踏み留まるか」または、「都内に活路を見いだして『肉匠 親方』を出店するか」の選択に迫られていた。

 そんな中、グループ代表の三橋から、「古くからお世話になっていた飲食店オーナーから東京・赤坂の一等地にある100人程度を収容できる規模の店舗を譲りたいという話が舞い込んできた」と聞かされた。

 こんなチャンスは2度とないだろうと思い、群馬から強力なスタッフ2人を引き連れて、突貫工事を約1カ月で行い、「肉匠 親方 赤坂店」をオープンする運びとなった。

1階ゲートに設置された「肉匠 親方」の3つの約束「んまっ! やっす! きもちいい~!」。「赤城和牛の赤身がうまい」「赤坂でありえない価格で安い」「接客こそ当店の誇りで気持ちいい」の3つを意味する
1階ゲートに設置された「肉匠 親方」の3つの約束「んまっ! やっす! きもちいい~!」。「赤城和牛の赤身がうまい」「赤坂でありえない価格で安い」「接客こそ当店の誇りで気持ちいい」の3つを意味する

5月2日にオープンして5カ月弱。売り上げの状況はどうか。

萩原氏: オープン月はオープン祝儀もあり、約1200万円を売り上げた。その後は、波はあるが平均800万円というところ。お客様との3つの約束「んまっ! やっす! きもちいい~!」を守りながら、1人でも多くの人に食で感動と幸せを与えていきたい。

今後の問題点はあるか。

萩原氏:今はフラットな席のみで、最大80人までの大人数の宴会もできるつくりになっている。忘年会シーズンは大変忙しくなりそうで今から楽しみだが、「個室はないのか」という問い合わせを受けることが多々ある。

 実は厨房の左奥に、現在は備品などを置いている個室スペースが数部屋あるが、問題は内装のリノベーションが済んでいないことと、ダクトがその個室にまで通っていないことだ。その個室を利用するためには、新たに費用を投下して追加のダクト工事をする必要がある。または、その場で焼肉を焼くのは一切なしにして、肉御膳コースの限定注文のみ利用できる個室にするかだが、焼肉店で焼肉ができないのは現実的ではないだろう。何かウルトラCの施策がないか、考えているところだ。

最後に今後の展望を。

萩原氏:まずは赤坂店を軌道に乗せて、地域で人気の焼肉店として定着、安定させることが大切だ。それをクリアできたら、東京2号店として、全室個室のような1ランク上のプレミアムな焼肉店を麻布周辺あたりに出店させたい。

 またサラダに使っている自家製ドレッシングやカレーなど、「肉匠 親方」のオリジナル商品を通販で全国へ届けたい。

親方こと萩原氏とスタッフの皆さん。明るい人には明るい人たちが集まる。元気な人には元気な人たちが集まる。「肉匠 親方 赤坂店」スタッフには、フレンドリーさと楽しさがにじみ出ている
親方こと萩原氏とスタッフの皆さん。明るい人には明るい人たちが集まる。元気な人には元気な人たちが集まる。「肉匠 親方 赤坂店」スタッフには、フレンドリーさと楽しさがにじみ出ている

取材を終えて

 当たり前かもしれないが、シャトーブリアンがうますぎた。赤城牛のシャトーブリアンは、まさに絶品のおいしさであった。そんな希少部位を破格の2480円で提供する、お客様ファーストの親方(萩原氏)の心意気にいたく感動した。

 なおシャトーブリアンは、最初ではなく、食事の後半、冷麺などの締め前に食べることをおすすめする。また「塩もみきゅうり」(380円)は逸品なので、肉が出てくるまでのお酒のつまみとしてぜひ召し上がってほしい。筆者は2回おかわりをした。

 ちなみに親方は、5月にお店をオープンしてから群馬県の実家には戻っていなく、パートナーや3人の子どもとは電話をするのみで、実際に会えていないそうだ。理由は、「不退転(ふたいてん)の決意で東京に進出したので、満足する結果が得られるまでは戻らないと決めたから」だとか。その決意は立派だが、親方が家族と会えないのはやはり気の毒だ。お正月休みに胸を張って親方が帰れるよう、米粒ほどの微力にもならないが、機会があるときは通いたい、とひそかに思った次第だ。

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