右手の指で混ぜて食べるスリランカスタイル
ランプライスは、スプーンで食べるより、右手の指でつかみながら食べるスリランカスタイルのほうがおいしいそうだ。右手の指で少しずつイエローライスをつかみながら、チキンカレーと混ぜたり、ココナツサンボウルと混ぜたりして、さまざまな味のコラボレーションを楽しむことができる。
スタッフの肥後英理子さんに協力をいただき、食べている模様を撮影させてもらった。



20年前のスリランカとの縁が食堂オープンへ
「アラリヤランカ」を運営するギゼン代表・藤山敬一オーナー(以下、藤山氏)に、お話を伺った。

オープンしたのが2020年3月10日と聞いた。初めて緊急事態宣言発出される1カ月前のバッドタイミングだ。当時は、どんな状況であったか。
藤山氏:スリランカ食堂をオープンさせることになったのが2019年11月。オープンが近づけば近づくほど、雲行きが怪しくなり、東京がロックタウン(都市封鎖)する噂まで流れてきたが、予定通りオープンさせた。「お客様がぜんぜん来ないのでは?」とも覚悟はしたが、昨今のスパイスブームが後押ししてくれて、「スリランカカレーを食べたい」というカレーフリークの方が予想以上に足を運んでくれた。テークアウトやデリバリーも含めて、緊急事態宣言中でも1日平均30人を動員することができた。

緊急事態宣言中は、お客様がゼロという飲食店がある中、集客30人は大健闘だ。コロナ禍での感染予防対策はどうしていたか。
藤山氏:スタッフの検温、アルコール消毒、マスク着用、お客様が入れ替わるたびに店内のテーブルのアルコール消毒、扉は常に開けて換気、来場者へのアルコール消毒のお願いなど最低限のことは継続して行っている。アクリルボードは、スペースの関係で設置はしていない。
もともとギゼンは高級肉料理弁当事業が好調だったが、数多くの料理のカテゴリーがある中から、なぜスリランカ料理を選んだのか?
藤山氏:スリランカ料理との初めての出合いが関係している。20代の時に東京に出てきた際、原宿にあった「エレファントカフェ」というレストランで勤務していた。その時のアルバイトにスリランカ人が10人ほどいて、仲良くなり、ホームパーティーに呼ばれてスリランカ家庭料理を振る舞ってもらい、初めて食した。そのおいしさが衝撃的だった。
その後、スリランカ料理屋さんで働いたのか?
藤山氏:それは一切なかった。しかしそれは、ずっと自分の頭の中にインプットはされていた。一緒に勤務していたスリランカ人の友人が現在、スリランカに戻っていて、「一度、スリランカに遊びにおいで」となり、18年末から19年の正月にかけて、初めてスリランカへ遊びに行った。その彼のアテンドで、スリランカにあるおいしいと評判の家庭料理店やレストランをほぼ回った。しかし自分が思い浮かべていたあの家庭料理の味には出合えなかった。
結論で言うと、あのおいしいスリランカ家庭料理は、男性ではなく、女性によって作られていたのだ。自分のスリランカ人脈によって、自分が探していた家庭料理が作れる女性シェフたちを見つけることができた。それでお店のコンセプトは『スリランカのお母さんによる食堂』となった。
それはすごい。20代の頃に衝撃を受けたスリランカ家庭料理が23年の時を経て、続いていたスリランカとのご縁でスリランカ食堂のオープンへとつながったわけだ。
藤山氏:自分は人材には恵まれているかもしれない。人と人とのご縁は本当に大切だ。
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