常に行列が絶えない喜多方市の「坂内食堂」本店(写真提供:麺食)
常に行列が絶えない喜多方市の「坂内食堂」本店(写真提供:麺食)

 「喜多方ラーメン坂内」創業者で、運営会社麺食の会長でもある中原明氏(以下中原会長)は、1987年に国鉄が民営化する以前は、国鉄が親会社の飲食会社に勤務していた。当時、新しいラーメンを模索中で、おいしいラーメンがあるとの噂を聞きつけては、全国の店に足を運んでいた。だが、満足のいく店がなかなか見つからなかった。大阪でラーメン店を視察後、帰京する飛行機で隣に座った乗客が「キタカタラーメンがおいしい」という話をしているのを聞きつけた。

 当初、キタカタがどこか分からなかった。インターネットも普及していない時代。中原会長はJRのネットワークを駆使し、JR喜多方駅への「裏取り」で福島県の喜多方市のラーメンと判明した。早速、喜多方市を訪問。タクシーの運転手さんに「いちばんおいしい喜多方ラーメン店はどこ?」と尋ねて、坂内食堂に案内されたそうだ。

 スープもさることながら、麺のうまさに感動した中原会長はその製麺所を調べ上げ、曽我製麺にたどり着いた。「好き」は最大の原動力となる。いても立ってもいられない中原会長は早速曽我製麺の視察に向かい、曽我社長と知り合って、飲みに行く間柄にまでなった。

 そこで坂内食堂の先代会長である故・坂内新吾氏らと初めて遭遇することになる。当時はまだ30代の若造でしかなかった中原会長は、酒を酌み交わしながらも坂内氏になかなか話を聞いてもらえず、曽我社長も先に帰ってしまった。粘る中原会長は、坂内氏から「明日の朝5時にはうちのかかあ(故・坂内ヒサさん、以下ヒサさん)が店を開けているから行ってみろ」と言われて、期待が膨らんだ。

 翌朝、店に行ってみると、ヒサさんから「どこの馬の骨か分からん。そんなヤツ聞いていない」と“押しかけ見習い”はあえなく撃沈。文字通りの門前払いは2日間続いた。

 「会津の三泣き」という言葉がある。会津人の性格を表す言葉で、初めて会津に来た人はよそ者に対する会津人の厳しさに泣くといわれている。会津の生活に慣れてくると温かな心と人情に触れて泣き、会津を去るときに離れることのつらさに三度目の涙を流すという。

 つまり、最初は特に厳しい。中原会長はその洗礼を浴びたのだ。

 しかし3日目の朝にチャンスが訪れる。同じように店前に立っていたら、地元の人が縄で縛った泥まみれのネギを入り口に置いていった。中原会長は、「お母さん、これ掃除しておくのか?」とヒサさんに尋ねたら、「そうだ」と返答。それでネギを洗って皮をむいて、そのままわきに抱えてネギを一気に切りつくした。