何もしないことが幸せの近道

 では、老子はどうでしょうか。老子の人生ははっきりしないところが多いのですが、一説によると、現実の社会を嘆いて、山で仙人のような生活を送ったといわれています。その時点で既にラッセルとは大違いなのですが、それでも彼は幸福だったといいます。それは、なぜでしょうか?

 老子は、幸福とは多くを求めないことだと信じていたからです。彼の「足るを知る」という言葉がそれを象徴しています。この言葉の意味は、ないものを求めるのではなく、今あるものに満足せよということです。そうすれば不幸になることはありません。

 私たちが不幸に感じるのは、手に入らないものを求めようとあがくからです。究極的には何もしなければ不幸にならない。すなわち、幸せだということになります。実際、老子は「無為自然」という思想を根幹に据えています。

 同じことを「上善如水(じょうぜんみずのごとし)」とも表現しています。物事の一番いいあり方は、水の流れに身を任せ、逆らわないことだという意味です。確かに、求めなければ苦しむこともないでしょう。誰もがその境地に達することができれば、きっと幸せになれるのだとは思いますが、なかなか難しいですよね。人間には欲がありますから。

 ただ面白いことに、これほど現実離れした思想であるにもかかわらず、老子の思想は今なお世界中で愛されています。西洋社会でさえも! 恐らくそれは、人間が万能ではないからだと思います。私たちには欲があって、積極的に物事に働きかける側面がある一方で、それがうまくいかずに落ち込む側面もあるのです。そんなときは、老子に共感するのでしょう。

 だからラッセルと老子、片方の幸福論が正しいということではなく、人間にとってはいずれも必要なのでしょう。消極的過ぎて幸福を感じられないときは、趣味を探したり、何かの物事に首を突っ込んだりしてみる。積極性があり余り、動いていても幸せを得られないときは、何もしないことで幸せを享受する。好みはわかれるかもしれませんが、こうした両方の視点を理解しているだけでも、少しは人生が生きやすくなるはずです。

 さて、皆さんはどうやって幸福になりますか?

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