フロム「バイタリティーを養え」

 こうした理想を求め続ける愛に対して、むしろ分け与えるものこそが愛だと説いたのが、20世紀ドイツの社会心理学者、エーリッヒ・フロムです。彼には、その名も『愛するということ』という恋愛哲学のお手本のような著作があります。

 原題はThe Art of Lovingなので、愛の技術が書かれているといっていいでしょう。ただし、愛されるための技術ではなく、愛する技術を説いている点がポイントです。普通は恋愛というと、愛されること、モテることをイメージすると思います。

 もっとも、フロムによると、それは誤解なのです。なぜなら、愛は能動的な営みだからです。だから「恋に落ちる」などとのんきに構えていては、いつまでたっても恋愛はできないというわけです。では、どうすればいいのか?

 そこでフロムは、愛を与えるよう勧めます。与えれば、必ず何か返ってくるはず。つまり、自分から愛すれば、愛されるようになるということです。それができない人はナルシシズムに陥っているといえます。あしき自己愛です。

 そこから逃れるためには、練習が必要です。練習して技術を身に付ける。愛の技術とはそういう意味なのです。具体的には、客観的に物事を見る、自分を信じる、苦痛や失望を受け入れるといった練習が求められます。

 なぜなら客観性がないと、自分しか見えないからです。また、他者を愛するためには信じることが必要ですが、他者を信じ切るにはまず自分を信じなければなりません。そして一度や二度裏切られても、苦痛や失望を受け入れ、乗り越えていく必要があります。

 大変だなと思うかもしれませんが、愛はそう簡単には手に入らないのです。したがってフロムも、こうした厳しい練習をこなすためには、大前提として能動性が求められると言っています。いわば何事にも積極的に取り組むためのバイタリティーです。愛が欲しければ、バイタリティーを養うことが先決だということです。

 さあ、果たして愛とは求めるものなのか、それとも与えるものなのか。個人的経験からすると、どちらも本質だなと思います。求めること、与えることのそれぞれに喜びを覚えるときがあるからです。

 この2つの行為は、同時に成立することはないと思います。だからこそプラトンは求めることだと言い、フロムは与えることだと言ったのでしょう。仮に求めながら与えていたとしても、どちらかが勝っているはずですから。

 しかしながら、一人の人間の生涯において、ある時期は求め、ある時期は与えるということは可能です。そして求めているときはそれが愛の本質であり、与えているときもまた同様でしょう。

 大事なことは、その都度真剣に愛に向き合っているかどうかだと思うのです。そのベクトルがどうであれ、どれだけ真剣に求め、与えているか。そのことこそが愛の価値を決めるように思えてなりません。だから恋愛下手な人にはこうアドバイスしたいと思います。ぜひ一度、全身全霊を傾けて誰かのことを考えてみてください。きっと自然に体が動き出すはずです。

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