確固たる自分なんてない

 これに対して、そもそも「確固たる自分などない」と主張するのが、フランスの哲学者ミシェル・セールです。セールの考え方を理解するためには、同じフランスの近世の哲学者デカルトにまで遡る必要があります。

 デカルトといえば、「我思う、ゆえに我あり」のフレーズで知られる自分発見のパイオニアです。彼は考える自分というものがこの世に存在し、それこそが私たち人間の本質だと言ったのです。

 哲学の世界では、基本的にこの考え方を支持してきましたが、セールは全く正反対のことを唱えました。考えるということは、必ず何か考える対象があるはずです。ということは、何か対象がなければ、考えることはできません。そしてデカルトが言うように、考えることが私の本質なのであれば、対象がないときは何も考えられないのですから、私は存在しないことになってしまいます。

 つまり、私たちは何か対象があって初めて存在するということです。本当は「我思う、ゆえに我なし」だということです。もっともセールは、私たちがエートル(フランス語の基本動詞)、英語でいうbe動詞のようなものだとも言えるとしています。なぜなら、Iが主語ならamになり、Heが主語ならisになるように、対象によって形が変わるからです。

 その点では、自分は存在するのでしょうが、少なくとも確固たるものとはいえないでしょう。自分が何者なのかは相手や対象次第。誤解を恐れずにいえば、あたかもカメレオンのように環境によってその都度変わるということです。この考えもまた、ある意味で説得力があります。

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