恐慌を脱するために尽力する実業家達

 現在であれば、中央銀行による流動性供給や金融政策などの規制によって、07年のような金融恐慌を未然に防いだり、悪影響を緩和したりすることもできるだろう。しかし、当時の米国にはそうした中央銀行が存在しなかった。中央銀行に近しい役割を担っていたのは、主要商業銀行によって1853年に設立された「クリアリング・ハウス」だけであった。

 クリアリング・ハウスは銀行間の小切手決済を担う決済機関だったが、07年の恐慌時には、最後の資金の貸し手として資金不足に窮する金融機関に緊急融資を実行した。また、現金が不足した際は代替紙幣であるクリアリング・ハウス証書を発行し、市中銀行を通して流通させた。クリアリング・ハウス証書は当時流通している現金のおよそ15%にも相当する金額が発行されたという。こうした民間の中央機関が金融恐慌の収束に一役買ったことは間違いない。

 結局、07年の金融恐慌は、クリアリング・ハウスによる緊急融資と、現在の投資銀行J.P.モルガンの創業者であるジョン・ピアポント・モルガンや実業家のジョン・ロックフェラーが主導した資金供給などにより、危機を回避。同年11月15日に、株価は底を打って急回復することになった。

後編へ続く

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