静かなる株価下落からパニック相場へ

 しかし、巨大地震による「都市の破壊」が金融恐慌を生み出したのではない。大震災からの「復興需要」こそが、恐慌を引き起こしたと考えられる。破壊されたサンフランシスコの復興には巨額な投資が必要となり、その額は当時の米国GDPの2%程度に相当した。米国のみならず英国やフランスなどの主要国の資金もサンフランシスコの再建に注がれたものの、米国内での資金需要の逼迫度合いは危険水域まで到達していた。

 今にも切断されそうなほど張り詰めた資金需要逼迫の糸は、07年3月に突如として切れた。直接的な原因は特段見当たらないが、同年3月中旬ごろから突如として米国株価は下落を始めた。株価下落につながるような直接的な原因は存在せず、市場参加者も特段新規の材料を見いだすことができない中で、静かに下落を始めたのだ。

 資金逼迫が軟調な株価の背景にあると、投資家が気づくまでにはそれほど時間を要さなかった。金融機関の資金調達金利であるコール・レートは、それまでの倍以上となる10%を超えはじめた。流動性への懸念から投資家や金融機関は次々に株式を売却して現金の確保に奔走。結果、株価は下落を継続し、パニック相場の様相となった。

損失や取り付け騒ぎによって複数銀行が破綻

 市場の流動性危機は次第に債務危機へと昇華しはじめた。流動性が逼迫する中、「コッパー(銅)・キング」とも称されたアウグストス・ハインツとその兄であるオットー・ハインツによるユナイテッド・コッパー社への乗っ取り工作が失敗に終わった。結果、買収会社が経営破綻に陥り、買収に要した資金の回収が不可能になった。

 その買収工作に加担したマーカンタイル・ナショナル銀行やニュー・アムステルダム・ナショナル銀行、そしてニッカー・ボッカー信託銀行などが、工作の失敗に関連して巨額な損失を抱えたことや、ハインツ兄弟との不適切な関係性などが報道されるや否や、経営破綻を懸念する預金者がこれら銀行から預金を引き上げはじめた。この預金流出が著しい資金不足をもたらした。最終的には資金不足から多くの銀行が債務不履行に陥り、相次いで破綻の危機に窮することになった。

 これら銀行の破綻危機に関する報道は他の銀行の預金者に波及し、取り付け騒ぎが全米各地で発生した。米国で預金保険制度が確立したのは、33年になってからだ。つまり、銀行破綻は預金の消失を意味する。資金需要が逼迫する状況下での預金流出は多くの銀行にとっての決定打となった。

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