近年のバブル経済の中心は株式市場だ。株価の恒常的な上昇を信じる投機家によって、株価は実際の価値以上に押し上げられる。実態のない株価上昇はやがてはじける運命にある。1929年に下落が始まり、32年に最低価格まで落ち込んだ株式バブルは、投機家の「根拠なき熱狂」によって生み出されたものだった。だが、その遠因にはもう1つの「金融恐慌」の存在があった。
1929年9月初旬、ウォール街の「グレート・クラッシュ(大暴落)」と後の世で呼ばれる米国株式市場での株価下落が始まった。当初の株価下落は緩やかだったが、10月に入って株価下落は暴落にまでに発展した。「暗黒の月曜日」そして「暗黒の火曜日」と称される同年10月28日と29日は、ダウ・ジョーンズ工業平均株価が2日連続で10%を超える大幅な下落を記録した。株価の下落トレンドは以降もやまず、グレート・クラッシュの期間中で最低株価を記録した32年7月8日までに、株価は9割近くも下落したのだ。
過去数年間続いた、信じられないような株価の上昇は、株価の暴落により消失。金持ちになることを夢見て多額の資金を使って株式を買い集めた投資家は、紙くず同然となった株券を前に絶望した。株式売買仲介人は、大損を被った顧客からの資金回収に奔走。混乱する金融市場を前に、ニューヨーク連邦準備銀行は米連邦準備理事会(FRB)の事前承認なしに、1億6000万ドル(現在の価値で約24億ドル)規模の債券買い入れ策を緊急的に実施した。
バブル崩壊後に恐慌が発生
こうした株式市場の混乱は、後に続く米国経済の悪化の序章にすぎなかった。33年までの3年間は、「恐慌」と呼ぶにふさわしいほどの様相で、10月の暴落直前に一桁台であった失業率は、最悪期には25%近傍にまで悪化した。実質GDP(国内総生産)は暴落直前との比較で、最大マイナス30%もの悪化を示した。こうした経済恐慌は金融危機をも引き起こした。流動性危機の中で取り付け騒ぎが頻発し、全米で45%もの銀行で預金が封鎖された。結果、30年から33年の間に、全体の30%近くにもあたる9000もの銀行が破綻に追い込まれた。
当時のハーバート・フーバー大統領は、景気刺激策として、公共事業を推進するとともに、個人所得税率と法人税率を引き下げる減税策を実施した。しかし、引き下げ幅がわずか1%であったことに加え、翌年にはその減税策を打ち切ったことなどから、景気減速は止まることはなかった。各地で政府に対するデモ抗議が頻発し、大統領の人気は急落。32年の大統領選では民主党のフランクリン・ルーズベルト候補の前に大敗し、2期目の再選を果たすことはできなかった。
そして、新たに就任したルーズベルト大統領のもとで、補助金による生産制限や公共事業による雇用の創出などを柱とするニューディール政策を実行。就任2年目になってようやく実質GDPは前年比でプラスとなり、36年には恐慌前の水準にまで回復するに至った……。
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