緊縮財政政策がバブル崩壊の引き金となった

 徳川吉宗によって推し進められた享保の改革では、元禄時代より緩み続けていた幕府の支出を抑制する「緊縮財政」が行われた。幕府では徹底的な倹約が強いられ、幕臣のリストラなどの歳出削減策が断行された。一方、歳入増にも力を入れており、新田開発による耕作面積の拡充や、年貢比率を四公六民から五公五民へと引き上げる増税が行われた。

 数々の緊縮策は、正徳の改鋳に続くデフレ政策であった。米の収穫量増と年貢米の増加によって米の供給量は激増。需給バランスが崩壊し、米価は従来の半値未満にまで急落した。米以外の物品価格の下落も顕著となる中、幕府の歳出減に伴って景気も急速に悪化していく。デフレと景気悪化のスパイラルに陥り、幕府は深刻なスタグネーションに苦しめられることとなった。

 こうして「元禄バブル」は崩壊したのだ。ちなみに、栄華を誇った元禄時代に急増していた人口は、享保時代は横ばいないしは減少したという。享保期に生じた飢饉(ききん)が理由である可能性もあるが、バブル崩壊による景気減速も無視できないだろう。

 以上のように、元禄バブルの形成と崩壊は「度重なる改鋳による貨幣流通量の激増」と「政策正常化タイミングの逸失」によって引き起こされた。放漫財政の結果としての巨額財政赤字を補填(ほてん)するための貨幣改鋳。改鋳による出目が過大となった時点で歳出を抑制すべきだったのだが、逆に東大寺大仏殿の再興を含め公共事業を拡大している。

 その後、大災害に見舞われ、大規模財政出動を余儀なくされ、財政引き締めのタイミングを逸してしまった。そして、正徳の改鋳や享保の改革ではデフレ政策が推し進められ、バブルは崩壊してしまったのだ。

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