「なんでもやる」

 この一言は、新型コロナウイルスの世界的まん延というパンデミックのさなかにあった2020年3月、FRB(米連邦準備理事会)議長であるジェローム・パウエル氏から発せられた言葉だ。この言葉を契機に、未曽有の危機によって混乱を極めていた金融市場は落ち着きを取り戻した。彼の言葉は、政策責任者による果断なコミットメントを約束する力強いメッセージとなり、市場参加者に安心感を与えた。

 ただ、「なんでもやる」という言葉はパウエルFRB議長の専売特許ではない。同年4月に、スティーブン・ムニューシン米国財務長官(当時)が、パンデミックを乗り切るために巨額財政出動を約束したときにもこうした発言はあったし、12年7月に当時ECB(欧州中央銀行)総裁だったマリオ・ドラギ氏がギリシャ経済危機下で、通貨としてのユーロを守るために発信した言葉でもある。そして、デフレ脱却を目指した日本銀行の黒田東彦総裁も13年3月の就任会見にて同様の発言をしている。

 彼らの発言や行動を批判するつもりは一切ないが、「なんでもやる」と言っても、実際に「なんでもやる」ことは不可能だ。当然、そこには法律や慣習、政府からの独立性などさまざまなしばりが存在する。選択可能な政策メニューの中から、目的達成に資する金融・財政政策を選択・実行するよりほかないのである。

 さて、日本の歴史をひもといてみると、驚くべきことに文字通り「なんでもやった」政策責任者が過去に存在している。

 そのときのなんでもやる政策は、「やり過ぎ」を招き、ハイパーインフレを伴うバブルを生み出してしまった。そのバブルこそが、「元禄バブル」だ。元禄バブルは、これまで紹介した資産バブルとは大きく性質が異なる。18世紀英国で起きた南海泡沫(ほうまつ)事件も19世紀の日本で起きたウサギバブルも特定の資産の価値が急騰し、その後はじけた「資産バブル」なのに対し、元禄バブルは徳川幕府によって引き起こされた「経済バブル」である。

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