明治時代に突如として発生したウサギバブル。金融バブルとは異なり、物品をベースにしたバブルは、自治体規制に伴い一気に弾けることに。日本版チューリップバブルとも呼ばれるコモディティ(商品)バブルからは、何を学べるのか?

愛玩動物のウサギが金を生んだ(写真:PIXTA)
愛玩動物のウサギが金を生んだ(写真:PIXTA)

文明開化と同時に訪れた日本のコモディティバブル

 時は明治、約300年続いた徳川幕府が倒れ、日本の世はまさに文明開化の時代。西洋化によって富国強兵を推し進め、欧米列強に追いつかんとする明治政府は国民に対して「西洋文化」を取り入れることを奨励した。西洋化のうねりは建築から散髪・洋装まで多岐にわたり、人々の生活を大きく変貌させた。

 こうした官製・西洋化の弊害によって生じてしまったコモディティバブルの主役はウサギだ。その名も「ウサギバブル」である。1872年から73年(明治5年から6年)にかけて発生したブームは、西洋から渡来した外来種のウサギだった。今の世に生きる我々からすると不思議な話だが、愛玩動物のウサギはルイ・ヴィトンやメルセデス・ベンツの様なステータスの象徴であった。当時は、西洋文化を取り入れることこそが社会的地位の向上であり、外来種ウサギの飼育も西洋文化の受容を示す好例となることから、華族や士族などの富裕層を中心に積極的に取り入れていった。

 72年ごろから徐々に火が付き始めたウサギブームに目を付けたのが投機家だ。ウサギ商人となった投機家達は、高騰したウサギを買い占めて繁殖させたり、海外から珍種を輸入したり、妊娠しているウサギにギャンブル性を持たせたりするなどしてブームから利益を上げようと画策。やがて、熱を帯びたウサギブームは新聞や風刺画などのメディアに盛んに取り上げられるようになり、熱狂した投機家をウサギ市場に取り込むこととなった。こうして、ウサギブームはウサギバブルと相成った。73年夏には投機熱が最高潮を迎えた。珍しい種が600円で取引されるケースもあったという。当時の公務員の初任給が4円から5円であった状況を考えると、いかにウサギ投機熱が高まっていたかがうかがえる。

(写真:PIXTA)
(写真:PIXTA)

 しかし、ウサギバブルもその他の資産バブルと同じく、やがては破裂する運命にあった。それは、73年12月のことであった。当時、ウサギバブルによって殺人事件が発生したり、詐欺事件が横行したりするなどバブルによる弊害が如実に現れていた。対応に苦慮した東京府(現在の東京都)は「兎取締ノ儀」(通称「兎税」)の導入に踏み切った。大まかな内容はこうだ。

(1)ウサギの売買を行った者は役所にて登録を義務付ける
(2)ウサギの所有者は月1円の税金を納入しなければならない
(3)無届けでの所有が発覚した場合、2円の罰金を徴収する

 この兎税の導入を契機に、ウサギバブルはあっけなく弾けた。ウサギの取引価格は短期間のうちに暴落し、資産価値はゼロとなった。売ることもできなくなったウサギの処分に困り、捨てたり鍋にして食べたりした事例が頻発したとの記録が残っている。

 こうして、ウサギバブルはあっけなく崩壊した。

続きを読む 2/2 屈折した所有欲によって引き起こされたバブル

この記事はシリーズ「大崎匠の温故知新「バブル史」」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。