酒がバブル形成と崩壊を誘発した?
中央アジア原産の植物の球根がなぜここまでの熱狂を生み出したのか。そこにはデリバティブ(金融派生商品)の存在があった。「17世紀にデリバティブ市場など存在するのか?」と驚かれるかもしれないが、球根を取引する先物市場がすでに形成されていたのだ。その市場とは主に「パブ(飲み屋)」だった。飲み屋にトレーダーたちが集まって、先物取引契約を交わしていた。
飲み屋でのデリバティブ取引。バブル史でなくても、こうした組み合わせは危険な臭いしかしない。事実、これらは危ない賭けごとであったもようだ。今でこそ、デリバティブ取引には、基本的な契約に基づいて証拠金(担保金)を差し入れることで、お互いに過度なリスクテークにならないように工夫がされている。しかし、当時は証拠金の差し入れなど必要とされていない。そのため、先物の買い手はポジションを取る際に一切の資金を差し入れる必要がない。そして、売り手も当然、何の裏付けを持たずして「空売り」が可能なのだ。
契約の期日が来て、実際に球根を売買する取引が成立したのかといえば、そうではなかった。買いポジションを持つ人間が、契約価格と実勢価格の差額を支払う(受け取る)だけであった。金融用語でいう「差金決済」だ。こうなれば、いよいよ投機の臭いが強くなる。
だが、彼らの酔いが覚めるのも早かった。球根が芽吹き始める頃、オランダの熱狂を聞いて周辺国からチューリップの球根が持ち込まれ始めた。それだけではなく、春先に購入期限を切っていた球根の受け渡し日が近づくにつれ、投機家たちは冬に仕込んだ「ガチャ」の結果を知ることになった。それは、希少種を含めた供給の増加に他ならない。

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