(写真:PIXTA)
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 赤い服を着たお兄さんお姉さんが年賀状を販売する姿に、もうそんな時期かと思う。

 寒空の中、お兄さんが寂しそうな目で誰か買ってくれないかと、道行く人々を眺めている。仕方ない一肌脱ごうと、購入を決めた。

お兄さん「ありがとうございます」
私「寒いのに、大変ですね。販売ノルマはあるんですか?」
お兄さん「民営化してノルマはなくなりました。代わりに販売目標が設定されました」
顔を見合って、お互い苦笑した。

 きっと高い目標が課せられているのだろうが、年賀状自体の発行枚数は年々減少傾向にある。

 かつて年賀状交換はお正月の風物詩だったものの、今では書く人が少なくなり、ここ数年は年賀状を出すのをやめる「年賀状納め」「年賀状じまい」「終活年賀状」をする人も目立つ。発行枚数はおそらく今後も減っていくだろう。

民間人の発案で始まった「お年玉くじ付き年賀はがき」

 そもそもの年賀状はいつごろから始まった風習なのだろうか。

 その登場は平安時代までさかのぼる。平安後期に藤原明衡(ふじわらのあきひら)が記した『雲州消息』。年中の往復書簡をまとめた書物で、その中に新年の挨拶文例が紹介されている。

 このことから、平安後期以前には、年の初めに挨拶をし合うという習慣があったと推測される。その後は、貴族や戦国武将間でやり取りするのみ。国民全体への年賀状の一般化は、明治と昭和の2時代に入ってからだ。

 明治は、郵便制度が創設された時代。1873年に郵便はがきが誕生し、簡便に手紙のやり取りができるようになった。従来、年始回りが一般的だったから、村社会から都市社会への変化により簡易に一括でできる手紙にメリットを感じる人は多かったのだろう。

 1900年代の初期、尋常小学校への就学率が9割を超えたことに伴い、識字率が向上。全国的に、読み書きが基礎教養として徹底されたことが手紙の利用促進にもつながったのは間違いない。

 そして、昭和の時代。戦争により、40年に年賀特別郵便取扱停止(年賀状の取り扱い禁止)が閣議決定。一時的に年賀状自体が全廃されたが、終戦により48年に復活した。

 年賀状ブームとも呼べる状況となったのは、49年に販売開始したお年玉くじ付き年賀はがきがきっかけだ。ワクワクしながら番号をそろえてチェックする人も多いと思うが、そのアイデアは実は民間から提案されたものだった。

 関西で洋品雑貨の会社経営と画家をしていた林正治氏。年賀状にお年玉くじを付ければ、途切れていたお互いの消息も分かるし、年賀の習慣が復活すると大阪の郵便局に直談判した。

 最初は難色を示した郵便局だったが、戦後の郵便網の復興のため多額の赤字を抱えていた背景もあり、販売に踏み切った(ちなみに最初は売れず、責任を感じた林氏が土地を売って自ら購入したともいわれている)。

 その後は、右肩上がりで年賀状利用が促進されることとなった。林氏は5万円の現金を特賞とすることを提案したが、実際に最初の特賞として選ばれたのはミシンだった。

 2022年の1等商品は、現金30万円か、21年発行特殊切手集と現金20万円、選べる電子マネーギフト「EJOICA(イージョイカ)セレクトギフト」31万円分となっている。

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