当たり前として制度が設けられる欧米
ほんの数年前までは、こうした性的指向について自己発信することや理解を深めること自体が難しかった。だが、若干遅いながらも世界的な潮流を追従するかのように日本も理解が進みつつある。差別的な解釈や発信は少なくなってはいないが、まずは、知られるようになる点、そして、現状維持ではなくポジティブに受け入れより良い社会の方向に向かおうとしている点は良い傾向と言えるだろう。
だが、欧米などではLGBTQであることで人権が阻害されない、当たり前の制度として認められている場合が多い。例えば、米国の場合、合衆国憲法においては同性婚を認めないことは違憲との判決が出た。(ただし州によっては、同性婚を認めていない場合もある)
LGBTQが、差別の源泉になっていることに反対するブランドメッセージとして強く発信する企業も増えた。米ナイキやスウェーデンのヘネス・アンド・マウリッツ(H&M)などは、LGBTQの七色をモチーフにしたプロダクトなどを発売。一部の売り上げを寄付とするなど、他ブランド以上に“LGBTQフレンドリー”なポジションを確立しつつある。

また、人材採用にLGBTQに配慮し性別欄や顔写真を廃止したり、オフィス設計をする際にパブリックトイレを設けるなど、枠組みの外にいた人々にも平等に配慮する制度設計が進みつつある。この点は日本でも進行しつつある。
一方で、枠組みの外にいる人が、LGBTQの人が強いられている不便さを黙殺したり、法整備に消極的になるどころか異を唱えたりする現状も残っている。例えば、自民党の杉田水脈議員をはじめとする一部の与党議員団は、同性婚やLGBTQにまつわる法改正について強烈に反対の意を示している。また、2016年6月に閣議決定した「一億総活躍プラン」の中で、社会全体が多様性を受け入れる環境づくりを進めることを明示したものの、議論開始から5年がすでに経過し、LGBTなど性的少数者を巡る「理解増進」法案ですら立案ができていない。これでは、どれだけ当事者が悲鳴を上げて社会意識を変革しようとしても、政治が蓋をしてしまっているととられても仕方ないだろう。
欧米を模倣し、全てが自由になることに対する反発もまた理解はできる。だが、せめて次の年号に変わるまでには、議論を含めた前進が必要なのではないだろうか。
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