実際の調理にトライしてみよう

 では、上記の1~3のステップを少し細かく見ていこう。

1.焼き目をつける
「ステーキを焼く」ことの意味はふたつある。根源的には加熱したことが見た目にも明らかであり、「この肉は安全である」という印。そしてもうひとつは焼き目に伴う香ばしさをつけ、その香気成分でおいしさを増幅させることだ。

 ステーキの焼き目は科学的には「メイラード反応」という糖とアミノ酸の反応だ。高温でこの反応が起きると、様々なアミノ酸と糖が結びつき、複雑で多様な香気を発するようになる。肉にもアミノ酸と糖が含まれているので、もちろんこの反応が起きる。この反応が大きく加速する温度帯は155~180℃あたり。

 水が沸騰する温度はご存じ100℃である。つまり肉の表面に水分が多い状態では、肉表面の温度は上がりにくく、メイラード反応も起きづらい(糖単体で起きるカラメル化も160~180℃で加速する)。揚げ物の衣のように水分が多く残った状態では色がつきづらいのと同じだ。だからいい精肉店では、肉の水分をコントロールしてほどよく脱水された肉を飲食店に卸したりもしている(焼肉店の店主が「この肉はよく乾いているなあ」とホクホクしていたりする)。

 間違って水分の多い肉でステーキを焼こうとすると、表面に焼き目がつかないのに、中までどんどん火が入ってしまう。だからステーキを焼くときには、びしょびしょの肉を選んではならない。さらに言うと、(慣れないうちは)焼く前の肉に塩を振らないほうがいい。浸透圧で中の水分が表出してしまい、焼きが難しくなってしまうからだ。

2.内部をきっちり温める
ステーキは肉を内部まで温めなければならない。なぜなら、肉は一定の温度以上まで加熱することでうま味が増幅するからだ。

 肉のタンパク質の代表的な成分にミオシンとアクチンがある。そして科学調理クラスタの間では「ミオシンは変性させたほうがうまいが、アクチンは変性させてはならぬ」というのが定説だ。例えばミオシンは加熱することによってゲル化する。ゲル化すれば肉のうま味は舌の上に長くとどまり、呈味を長く感じられるようになる。(加熱による味の変化は各種アミノ酸や酵素などの働きが複雑に絡み合っているので、ミオシンやアクチンの変性それ自体が味にどこまで寄与しているかは不明な部分も多いが)体感としても刺身状態の肉より、一定の加熱をしたほうがうま味が膨らむのは間違いない。

 ステーキ(肉の内部)はミオシンの変性が始まる50℃以上(凝固温度は55℃)まで上げ、アクチンが変性し始める66℃の間に留めるのが鉄則となる。

 他に「低温での加熱時間が長くなると牛肉中のペプチド及び遊離アミノ酸量が増加するという報告もある」と書かれた論文もある。ペプチドとはコクや濃厚感を感じさせ、味わいに余韻を持たせる成分のこと。家庭向けの(厚くても)3cm程度のステーキとなると、ゆっくり温度を上げるのにも限界があるが「肉の内部はゆっくり加熱したほうがうまくなる」というのは覚えておいていい。

 ちなみに美しいロゼ色となるミディアムレアの目安は54.4~57℃、肉の赤身が変色(ミオグロビンの変性)するのは60℃から。美しい断面を目指すなら覚えておきたい温度だ。

3. 肉汁を失うほど加熱してはならない
前項で「肉は温めなければならない」と書いたが、一方でステーキは加熱しすぎてはならない。タンパク質に結合する水は40~50℃でタンパク質から遊離して細胞内に蓄積される。60℃になるとコラーゲンが縮んで細胞を圧迫するようになり、細胞内に蓄積された水分が細胞外に流れ出てしまう。

 表面や表面近くは焼き目のうま味とのトレードオフで焼き縮みしてしまうのは仕方がないとしても、最深部の温度はぜひとも60℃以下にとどめたい。

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