ナチスの下、拡大する事業
第1次世界大戦後、ドイツの経済政策は失敗続きだった。ドイツ国民は、この苦境を脱する旗振り役をする指導者の誕生を待ち望んでいた。そうした中、台頭したのがアドルフ・ヒトラーと彼の率いる国家社会主義ドイツ労働者党、通称ナチスである。
世界に対して強いドイツを発信するため、ナチスは「スポーツ」に目をつけた。スポーツ選手の育成や、国民の生活にスポーツを取り入れることを精力的に進めた。競技に勝つことで世界に対してアピールできると踏んだのだ。そうした国家政策の追い風を一身に受け、兄弟のスポーツシューズ事業はピークを迎える。
とくに栄華を極めたのは、1936年のベルリンオリンピック前後だろう。スポーツ振興のため、ヒトラーはベルリンで開催されるオリンピックに多額の予算をかけた。当初、米国や英国などがボイコットを宣言するかに思われたものの、一時的に人種差別政策を緩めたこともあり、49の国と地域が参加するそれまでにない規模のオリンピックとなった。

ダスラー兄弟商会にとって、オリンピックというイベントはドイツ国内で圧倒的なシェアを誇るスポーツシューズを海外に発信する見本市として機能した。兄ルドルフの尽力もあり、ドイツ人以外の選手がシューズを採用し、その活躍が売り上げ向上に直結することになった。その代表例が、ベルリンオリンピックで4つの金メダルを獲得した米国の陸上選手、ジェシー・オーエンスだ。
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